拓殖会社(読み)たくしょくかいしゃ

改訂新版 世界大百科事典 「拓殖会社」の意味・わかりやすい解説

拓殖会社 (たくしょくかいしゃ)

日本の国内,海外で植民および開拓事業を営む会社。その大半が植民地での移民,開拓を目的に設立され,多くは法令にもとづく半官半民国策会社であった。最も古い拓殖会社は,日露戦争後に設立された南満州鉄道株式会社満鉄,1906)と東洋拓殖株式会社東拓,1908)である。満鉄は交通・鉱工業を軸に,日本の満州(中国東北)経営に重要な役割を担い,東拓は朝鮮での植民地支配を目的に設立された。満州事変以降,日本の占領地域が満州,中国本土に拡大するに伴い,拓殖会社も増加した。1936年には朝鮮人,日本人の満州移民を促進する目的で,鮮満拓殖株式会社(資本金2000万円)と満鮮拓殖株式会社(資本金1500万円)が表裏一体のものとして設立された。これらは満鉄および東拓の子会社であった。また同じ年に,台湾には台湾拓殖株式会社(資本金3000万円)が,南洋諸島ミクロネシア)には南洋拓殖株式会社(資本金2000万円)が設立された。これらはすべて特殊会社であり,各地域での開拓事業の中心的推進機関であった。日中戦争勃発に伴って日本の占領地域が華北華中に拡大するにおよんで,38年華北占領地経営の目的で北支那開発株式会社(資本金3億5000万円)が,華中には同様の目的で中支那振興株式会社(資本金1億円)が設立された。これら二つの国策会社はその傘下に交通・運輸・電力・鉱工業の子会社をもち,占領地経営を行った。これらの拓殖会社はいずれも金融機関や投資会社の性格を兼ね備えており,その傘下に多くの子会社を擁して,占領地開発を行っていた。第2次大戦後の1945年9月,GHQの指令によって閉鎖された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「拓殖会社」の意味・わかりやすい解説

拓殖会社
たくしょくがいしゃ

国内、植民地および外国において拓殖(開拓および植民)事業を営む半官半民の国策会社のこと。第二次世界大戦までの日本でもっとも古いのは、日露戦争後の1906年(明治39)に設立された南満州鉄道株式会社(満鉄)である。資本金2億円、日本の満州経営の中枢機関であった。朝鮮の拓殖事業を営む目的で1908年に設立された東洋拓殖株式会社(東拓)は資本金1000万円、業務内容は金融・産米増殖・水利・綿作・森林伐採など多岐にわたり、とくにその直営拓殖事業は田3万5333町歩、畑1万4506町歩、小作人は7万9000余人に及んだという。東拓の営業区域は1917年(大正6)からは関東州、満蒙(まんもう)、華北、南洋にまで広げられた。さらに1936年(昭和11)には、朝鮮人農民の満州移住を目的として鮮満拓殖株式会社(資本金2000万円)と満鮮拓殖株式会社(資本金1500万円)が設立された。ともに表裏一体ともいうべき半官半民の特殊会社で、満鉄および東拓の子会社であった。しかも同年、台湾には台湾拓殖株式会社(資本金3000万円)、南洋には南洋拓殖株式会社(資本金2000万円)が設立され、同じく特殊会社であった。日中戦争時の1938年には、北支那(しな)開発株式会社(資本金3億5000万円)、中支那振興株式会社(資本金1億円)が設立された。敗戦の結果、これらの拓殖会社はすべて自然消滅した。

[加藤幸三郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「拓殖会社」の意味・わかりやすい解説

拓殖会社
たくしょくかいしゃ
colonization company

開拓および植民を事業とする会社。拓殖事業を営む会社は,特別の法令により特殊会社として設立される。日本では第2次世界大戦前に旧植民地で拓殖事業を行う半官半民の国策会社が数多く設立された。そのなかで最も古いのは,1906年設立の南満州鉄道株式会社 (満鉄) と 08年に設立された東洋拓殖株式会社 (東拓) である。

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