あんまは中国で発達した療法である。《史記》の扁鵲(へんじやく)伝に書かれている案杌(あんごつ)がこれに相当するというから,この療法は戦国時代(前403-前221)からあったと考えられる。推拿とか矯摩,按矯などとも呼ばれ,内容は時代によって少しずつ変化したと思われるが,からだの一部を圧したり動かしたりすることによって,血行をよくしたりして,からだの機能を回復させようという,一種の物理療法である。あんまは漢代の医学理論を伝えているといわれる《素問》では経絡の不調によって起こった麻痺をなおす療法として扱われているが,《漢書》では前漢末に《黄帝岐伯按摩》という書があったとされ,神僊(仙)書の部類に入れられている。この2種のあんまが同一の内容のものであるか否かは明らかでないが,導引などと関係のある神仙家が用いた健康法の一つであり,それが病気の治療に取り入れられた可能性がある。
あんま術は唐代には太医署に医,鍼,按摩,咒禁の4科がおかれて多数のあんま担当者がいたことや,按摩博士以下の教育担当者がいたことから,医学の一分科として重視されていたことがわかる。ただし当時のあんま術は導引術との区別もはっきりせず,現在の外科ないし整形外科領域の疾患も担当していたようである。その後,医学が進歩するにつれてあんまの担当領域は狭まり,国立医療機関での按摩科も,明代を除いて,宋以後は廃止され,この療法はもっぱら民間にゆだねられたが,その実態は明らかでない。一方,あんまと密接な関係があった導引術は健康法としてしだいに発達し,拳法とか気功療法として,現在でも盛んに行われている。
執筆者:赤堀 昭
日本には中国から導入され,その施術者のこともあんまと呼ぶ。日本の古代には典薬寮に按摩博士,按摩師,按摩生がおかれ,もみ療治のほかに外傷,骨折の手当てなども行った。その後,あんま術は衰えたようであるが,近世前期に復興されて広まり,徳川綱吉の病気をなおした杉山和一にはじまる杉山流が盛んになった。杉山流には盲人が多かったが,のちに創始された吉田流は目明きが多かった。《守貞漫稿》には,流しのあんまは三都とも小笛を吹いて歩く,京坂では夜間だけ,江戸では昼夜ともに回る,江戸ではふつう上下をもんで48文,店を開いて客を待つ足力(そくりき)は上下で100文,ただし,この足力あんまは京坂にはいないとしている。近代になって西洋医学によるマッサージが導入され,あんまとの手技の限界はつけにくくなり,一方,法的にも規制され,骨折,脱臼などの治療は禁止された。現在では,〈あん摩マッサージ指圧師,はり師,きゅう師等に関する法律〉(1947公布)により,一定の免許資格者でなければ営業はできないことになっている。
→指圧療法 →盲人
執筆者:遠藤 元男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…ことに身体的社会的理由から自宅での養育が困難とされる18歳未満の盲児には,児童福祉法に基づく盲児施設がある。また地域における自立のための生活基礎訓練を必要とする18歳以上の盲人に,リハビリテーションを行う施設として失明者更生施設があり,またあんま師,はり師,きゅう師の免許を持ちながらも自営したり,雇用されたりすることの困難な盲人に生活の場を与え,技術の指導を行い,自立更生を援助する施設として盲人ホームがともに身体障害者福祉法に基づいて設置されている。在宅盲人の通所施設としては,通所授産施設ならびに点字図書館と点字出版施設がある。…
※「按摩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加