(高島文一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
江戸前期の鍼(はり)医。慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に伊勢(いせ)国(三重県)に生まれる。幼児のころ失明し、江戸に出て検校(けんぎょう)山瀬琢一について鍼術(しんじゅつ)を学び、さらに京都で入江豊明に師事、2家の長所をあわせ、管鍼(くだばり)を考案してこれを実施し名声は大いにあがった。5代将軍徳川綱吉(つなよし)の病気を鍼術で治療し、1692年(元禄5)本所に宅地を与えられ、関東総検校に任ぜられた。幕命で江戸に鍼治講習所を開き、多くの門下生を養成、門下の三島安一(生没年不詳)は幕府医官となり、全国に講堂を開設して杉山流鍼術を広めた。著作に、杉山流三部書としての『節用集』『療治大概集』『選鍼三要集』がある。
[宗田 一]
江戸前期の鍼医。伊勢国津藩士の子。幼時に失明,江戸で検校山瀬琢一に,さらに京都で入江豊明につき鍼術を修め,2家の長所を兼ね,管鍼(くだばり)を創案して名声が大いに上がった。1685年(貞享2)5代将軍綱吉の病気を鍼術で治し,92年(元禄5)本所一つ目に宅地を与えられ関東総検校に任ぜられた。また幕命で鍼治講習所を開き,多くの門生を養成,その門の三島安一は職を継いで幕府医官となり,江戸近郊および諸国の45ヵ所に講堂を増設して杉山流鍼術を天下にひろめた。
執筆者:宗田 一
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…75年には万古友次郎の江戸万古も小梅村で窯が開かれている。本所に居住した著名な人物としては,1692年(元禄5)に奥医師関東総検校となった杉山和一がある。翌年には本所一ッ目に2700坪の宅地を拝領した。…
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[近世]
近世に入り平曲に代わって浄瑠璃節を語りはじめた琵琶法師はやがて琵琶を新たに渡来した三味線・箏に持ち替え,三都を中心に開花した町人文化の中で旺盛な創作活動を展開し,上方の三味線組歌,生田流(いくたりゆう)箏曲や江戸の山田流箏曲等を生み出した。また,将軍徳川綱吉の侍医杉山和一(わいち)によって盲人に医業への道がひらかれ,近世後期にははり,あんまが芸能に代わって盲人の主要な職業となるまでに普及した。江戸では大名,武家を相手とする座頭金(ざとうがね)(高利貸)が盛行して巨富を積む盲人も出現し,学問の世界では《群書類従》を編纂した塙保己一(はなわほきいち)が頭角を現した。…
※「杉山和一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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