政治意識(読み)セイジイシキ(英語表記)political consciousness
politische Bewusstsein[ドイツ]
conscience politique[フランス]

デジタル大辞泉 「政治意識」の意味・読み・例文・類語

せいじ‐いしき〔セイヂ‐〕【政治意識】

政治に関するものの見方・意見・態度など主観的側面の総称。「国民の政治意識

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精選版 日本国語大辞典 「政治意識」の意味・読み・例文・類語

せいじ‐いしきセイヂ‥【政治意識】

  1. 〘 名詞 〙 政治について、あるいは特定の政治問題について主体的に関与しようとする心情的態度。
    1. [初出の実例]「政治意識の低い水準にある軍隊出の老幹部たちは」(出典:肉体の悪魔(1946)〈田村泰次郎〉)

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改訂新版 世界大百科事典 「政治意識」の意味・わかりやすい解説

政治意識 (せいじいしき)
political consciousness
politische Bewusstsein[ドイツ]
conscience politique[フランス]

政党支持や政治的問題などについての意見や態度の総体を指していう。一部に,政治について知識が高く批判的な人について,政治意識が〈ある〉,あるいは〈高い〉という言い方が伝統的にあるが,学術用語としては一般的でない。

 個別の政治問題についての意見や態度が,自由主義や保守主義あるいは急進的や反動的というまとまりをもつという認識は,近代社会において常識的であった。しかし,参政権が〈財産と教養〉のある市民(ブルジョアジー)に制限されていた間は,こういう主義や態度の違いは,もっぱら思想や世界観という政治意識の自覚的・論理的部分に根ざすものとみなされた。そこから,議会や新聞などにおける理性的な討論を通じて,政治的対立を解決することも正統化されえたのである。政治の舞台に大衆(プロレタリアート)が登場し,政治的態度を決める要因がもっと複雑であることが認識されるにつれて,政治意識という把握の仕方が一般化するようになった。そこでは,政治意識を,単に自覚的な思想や理論によってではなく,それをこえた何らかの力学によって構造的に規定されているものとして理解する方向をたどっているが,その構造の解釈をめぐって,以下のタイプに分かれる。

マルクスは,生産関係を軸にした経済的利害が,究極的に人の社会的・政治的意識を規定すると考え,それをイデオロギーと呼んだ。イデオロギーはしたがって,具体的には階級意識としてあらわれる。しかし,支配階級による宣伝や教育のために,被支配階級が虚偽意識にとらわれることが問題だとマルクス主義は分析する。K.マンハイムは,こういうマルクス的なイデオロギー概念を拡張して,政治意識を所属集団や階層あるいは職業などの生活的利害によって一般に拘束されたものとして,知識社会学的分析の手法をひらいた。

 これに対し,M.ウェーバーは,政治意識を,むしろそれぞれの歴史社会に固有なエートス社会倫理)によって規定されたものとしてとらえ,それを民族的な文化伝統やエートスの歴史的発展に即して解釈する方向を築いた。エートスの核になるのは,経済的利害を超越した宗教的理念であり,宇宙解釈(コスモロジー)である。その意味で,こういう分析の方向は,文化人類学的な社会意識理解の方向とも重なる。このようにして,政治意識のあり方を伝統型や近代型に区分したり,民族のコスモロジーにかかわらせて整理する試みがなされるようになる。

 これに対し,政治意識を人間の身体的・生理的気質や性格にかかわらせて理解する試みは,古くから存在した。それは年齢や社会構造に応じての気質や性格の変化と結びつけることによって,さまざまな類型論を生んでいる。それらの中でも,W.ジェームズの〈かたい心〉〈やわらかい心〉と急進・反動型,保守・漸進型を結びつけたローエルAbbort L.Lowellの類型論は,その後,H.J.アイゼンクによって調査データの因子分析による裏付けをえて,広く用いられている。S.フロイトは,このような性格の形成をリビドー(性衝動)の発達と下意識の抑圧構造と結びつけ,政治意識の解釈に新しい領域を開いた。とりわけ,下意識の抑圧と社会構造との関連を追求した新フロイト派の学者によって,全体主義社会と権威主義的性格との結びつき(E.フロム)や欠乏心理,豊かな社会に応じる内部志向・他者志向の社会的性格(D.リースマン)などの類型の造型,あるいは歴史的社会におけるアイデンティティ(自己同一性)のあり方の分析(E.エリクソン)などが精力的に行われ,政治意識の分析に新しい局面をひらいた。

伝統社会やその文化や生活様式が色濃く残存している共同体社会では,大衆の政治的知識は限られ,かつ,伝統的な上下の秩序に従うという権威主義的性格が再生産されている。このような状況下では,伝統的な政治的無関心が一般的であり,政治意識は散漫でまとまりをもたない。近代社会において,市民層ついで大衆に政治的権利が認められるに及んで,はじめて大衆の間に政治的関心と知識に根ざした政治意識が形成されるようになった。近代社会においては,一般的に青少年期における国民社会的なメディア(新聞・雑誌等)との接触や学校教育,そして職業や宗教などの社会組織への帰属などが,政治意識の形成に大きな役割を果たした。そこでは伝統社会の解体と工業社会の発展,そしてそれに伴う社会問題の発生を背景に,進歩的改革派と伝統的保守派に政治態度は大きく分化するのが通例だったが,労働者階級や青年が改革派の主要な供給源になるのが常だった。

 近代社会から現代社会への移行期である20世紀前半,急激な社会構造の変動と2度の大戦や経済的大不況は,社会意識における鋭いアノミー(規範喪失)の状況をつくりだした。他方,マス・メディアの開始と大衆宣伝技術の発達は,イデオロギーやシンボル,そして情報の操作によって大衆の政治意識をコントロールする可能性をつくりだす。このようにして,政治意識の中に,急進的な社会革命やインターナショナリズムへの志向と,それに対抗する大衆的なナショナリズムや国家主義を基盤とする反動的な社会改革の志向がさらに分化し,政治は激動の時期を迎えた。社会構造の都市化と工業化が,〈豊かな社会〉,情報化社会,組織社会として定着するようになった20世紀後半の先進諸国で,左右の急進主義はともに減退するとともに,政治に対する新しい無関心(アパシー政治的無関心)が増大しはじめる。また,中間層意識が広がった社会では,政治的争点が多様化するようになり,貧富の対立を背景にした19世紀以来の体制選択や進歩対保守という政治意識形成の軸に代わって,反核運動や政治参加の,あるいは性差別の問題などが大きく浮かび上がるようになりつつある。

近代日本の政治意識は,西欧列強と対抗するために強化された天皇制イデオロギーと,急速な上からの近代化の中で温存された共同体のエートスによって強くおおわれていた点に特色がある。したがって,欧米諸国と同様な進歩対保守という軸に加えて,洋化と国粋,革新的原理主義と官僚的現実主義などの軸などがからみあって,複雑な政治意識のパターンを織り出していた。それが1920年代後半以降の政治的危機の中で,国体をふりかざす革新的原理主義と中国侵略の勝利に酔う軍国主義的ナショナリズムへと大きく整序されていく基盤になっていた。

 戦後日本の初期において,敗戦と占領に伴う社会構造の混乱と戦時中の軍国主義への反省の中で,急進的な革命主義から排外的な反動主義までさまざまな政治態度が渦巻いた。しかし,占領時代の末期,追放されていた戦時中の政治家が政界に復帰し,日本の独立とともに保守政党が,新憲法をはじめとする戦後の民主的改革の〈行過ぎ〉の是正を主張しはじめるにつれ,これを逆コースとする社会主義政党は,〈護憲・平和〉を旗印とする革新勢力へと結集し,戦後の政治を二分する〈保守と革新〉という対抗軸が形成されるようになった。この場合,保守とは,日本の伝統的な村落・家族共同体秩序を維持し,天皇制を中心とするナショナリズムを復興して軍備を強化し,国家への義務を強調して個人の権利を抑制する主張を総称し,これに対して,革新とは,戦後の個人主義的・近代主義的な改革を支持し,戦前のような天皇制の復活や軍備の強化に反対し,新憲法が認めた個人の権利や新憲法が認めた個人の権利や私生活における幸福の追求を国家に対する義務よりも重視する志向を指していた。それは,体制政党である保守党が逆コース的変革を主張し,反体制政党である革新政党が,実質的に占領時代の変革の成果を保守するという政治態度の交錯のうえに成り立っていた。そして,戦後の変革によって戦前の権威主義的・共同体的秩序から自由になり,戦争や徴兵の恐怖から解放された青年や女性が,この戦後〈革新〉の支持者の中核を占めていた。

 1950年代後半からの経済の高度成長,そしてその中での共同体的社会秩序の最終的解体と〈豊かな社会〉の形成は,このような政治意識の対抗軸を緩和し変質させていく。保守党は,戦前的な秩序への復帰や新憲法の改正などの主張を軟化させ,保守ということの内容を,事実上,戦後的な社会秩序と個人幸福追求の容認のうえに,経済成長を通じて〈豊かな社会〉を建設する主張に変化させていく。これに対し,戦後が遠くなるにつれて革新の側の〈護憲・平和〉のシンボルはしだいに凝集力を失い,革新政党とは,基盤である社会組織の利害を政府に対して主張する圧力団体以上の意味を実質的にもたなくなっていった。それは,60年代以降の保守支配の安定と革新勢力の衰退と分解,多党化となってあらわれた。革新勢力から離れた民衆の一部は,都会の中間層を中心に,市民型の政治意識を形成し,市民運動や住民運動をつくりあげていった。

 経済の高度成長がつづき,石油危機後も〈豊かな社会〉の持続が明らかになるにつれて,世論調査における中間層意識は増大し,1970年代には90%前後を記録するようになった。また,1960年代まで国民を二分してきた日米安保条約や自衛隊についての世論も,現状肯定派が大多数を占めるようになる。それに伴い,60年代後半から70年代前半にかけて,環境問題,石油危機,急激なインフレーション,そしてロッキード事件などで揺らいだ保守党への支持も復調し,多くの世論調査で1960年代前半と変りないレベルを示すようになった。同時に,〈豊かな社会〉化を反映した,〈支持政党なし〉という消極的な政治意識や積極的な政党不信のいちじるしい増大,また青年層の政治的無関心の拡大が特徴的である。それが,選挙において,投票率の上下に従って,保守党への投票がいちじるしく変動し,保守的な政治意識の広がりにもかかわらず,選挙で保守党がしばしば苦杯をなめる原因になっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「政治意識」の意味・わかりやすい解説

政治意識
せいじいしき
political consciousness

一般に、政治に対する信念、態度、判断、思考、感情などの心理的事象および行動様式を政治意識という。英米の政治学では、人々が政治状況や事象に対してもつ選好や価値によって規定される心理的指向を政治的態度、政治的態度の表現形態を政治的意見・政治行動、政治社会内の人々の行動を支配する基礎的な前提やルールを供給する態度・信条・感情の集合を政治文化と称しているが、政治意識の概念は、それらの諸概念にも対応する包括的概念である。このため、政治意識の分析は、政治哲学、政治思想、イデオロギー、政治的意見と世論、政治的イメージと政治的態度など広範囲にわたっているが、全体としては、〔1〕個人の政治意識、〔2〕集合的政治意識のタイプ、〔3〕政治意識の社会における分布とその効果などが問題とされる。

 政治意識の形成には、パーソナリティー、性格などの個人的要因、年齢、性別、職業、社会的地位、階級、帰属集団などの社会人口学的要因、文化的要因、歴史的要因などさまざまな因子が重層的に影響を与える。社会を構成する諸個人は、こうした因子を前提として、社会で一般に通用している政治的価値や態度を学習しそれらに同化していく政治的社会化や、支配者による政治的教化を通じて、固有の政治意識を形成する。また、こうした個人の政治意識を基本として、世論、政治風土、政治文化などの集合的な政治意識が形成されるのである。

[谷藤悦史]

政治意識の過程と構造

個々の政治意識やそれらを基礎とした集合的政治意識は、政治的リーダー、政党、圧力団体、官僚、マス・メディアなどの諸制度を通じて政治体系内部の決定領域に伝達され、そこで、政策や決定に移し変えられる。こうした政策や決定は、権威や権力を伴って、政治社会を構成する個々人に伝達されるが、個人は、こうした政策や決定に応じて、さらに新たな政治意識を形成することになる。このような流動的なサイクルを、政治意識の動態的側面あるいは過程的側面と称している。しかし、政治意識は、絶えず変化し流動化している一方で、個人や社会内部で固定化、安定化する側面をもっている。これを、政治意識の静態的側面あるいは構造的側面と称している。安定化し固定化した政治意識は、政治的意見、イデオロギー、政治思想、政治哲学など、さまざまな形で表現されるが、それらは相互に構造的な連関性をもっている。

 たとえば、政治意識を無自覚的部分(未組織的部分)から自覚的部分(組織的部分)へと至る軸で配列すると、政治的性格・パーソナリティー、政治的態度、政治的意見・世論、政治思想・政治哲学、イデオロギー、政策・計画というように相互に連関しながら重層的に構造化されているといえよう。ドイツの社会学者アドルノは、権威主義に対して同調的な人々のパーソナリティーは、反民主主義的なイデオロギーを受容しやすいと指摘しているが、こうした指摘は、政治意識の重層的な相互連関性を明らかにするものである。

[谷藤悦史]

政治意識の型

政治社会の形態が異なれば、必然的に政治意識の形態も異なることから、政治社会との関連でさまざまな政治意識の形態が指摘されている。封建的身分制などが制度化され、支配者と被支配者の間を分離し、固定化しているような伝統的社会では、政治は、君主や貴族など一握りの人々の関心事であり、多くの人々は、政治はだれか他人の仕事であるという意識、伝統的無関心が支配的であった。封建制の解体とともに登場した中産階級が、市民として政治社会の主要な担い手となった近代社会では、幼少年期に植え付けられた良心に従って、財産、権力、知識、技能、名誉などの価値を絶えざる努力によって獲得することが、自己の能力を証明することであり、自己を実現することであるという意識が台頭する。政治に関与し、政治権力を獲得することも、自己実現のためというようなある種の使命感をもってとらえられることになる。産業化、都市化を背景として大量の人々が政治に参加するようになった現代社会では、政治が社会内部に広く浸透した結果、多様な政治意識が出現する。アメリカの社会学者リースマンは、現代の政治意識を、ある種の使命感をもって政治に関与していた人々が、現代社会に適応できず欲求不満に陥り抵抗を試みるような憤慨型、政治不満から身を遠ざけるのではなく、希望を抱きながら政治に関与する熱心型、政治を理解することだけに興味を抱く内幕情報屋型、政治情報や政治知識をもっていながら政治にかかわりをもたない現代的無関心型の四つのタイプに類型化している。とりわけ組織の巨大化、官僚制化のなかで、政治的無関心が広く浸透しているのが、現代の特徴であるといえよう。

[谷藤悦史]

『京極純一著『政治意識の分析』(1968・東京大学出版会)』『永井陽之助著『政治意識の研究』(1971・岩波書店)』『小林良彰・谷藤悦史他著『現代政治意識論』(1984・高文堂出版社)』『D・リースマン著、加藤秀俊訳『孤独な群衆』(1964・みすず書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「政治意識」の意味・わかりやすい解説

政治意識
せいじいしき

政治および政治的事象に関する人々の態度,考え方,意見,関心,信念などの総体のこと。一般にはエリートの政治意識より一般大衆のそれをさす場合が多い。欧米において上述の意味に相当する概念は政治的態度 political attitudesと呼ばれており,心理学における社会的態度のうち政治的事象に対する態度のことをさすが,特にこの用語は一般大衆の態度を意味している。ただし,日本独特の概念として用いられてきた政治意識という用語は,政治的態度という中立的な意味以上に価値規範的なニュアンスを含み,政治的問題意識という意味で「政治意識の有無」を論じる場合,政治的関心の意味で「政治意識の高低」を論じる場合などに用いられることがしばしばある。

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