デジタル大辞泉
「散茶」の意味・読み・例文・類語
さん‐ちゃ【散茶】
1 茶の葉をひいて粉にしたもの。ひき茶。抹茶。
2 煎じたての香りのいい茶。煮端。出ばな。
3 「散茶造り」の略。
4 「散茶女郎」の略。
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さん‐ちゃ【散茶】
- 〘 名詞 〙
- ① 茶の葉をひいて粉にしたもの。ひき茶。抹茶。
- [初出の実例]「佗に絶て一炉の散茶気味ふかし〈農夫〉」(出典:俳諧・田舎の句合(1680)二一番)
- ② 煎じたての香りのいい茶。煮端(にばな)。散らし。
- [初出の実例]「散茶とは今いふ煮ばなにて好茶なり、ちらしともいへり」(出典:随筆・嬉遊笑覧(1830)九上)
- ③ 「さんちゃじょろう(散茶女郎)」の略。
- [初出の実例]「さん茶(チャ)といふはふらぬと申心なり」(出典:浮世草子・好色二代男(1684)二)
- ④ 「さんちゃづくり(散茶造)」の略。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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散茶
さんちゃ
(1)葉茶を挽(ひ)いて粉にしたもの。挽茶(ひきちゃ)、抹茶(まっちゃ)。
(2)煎(せん)じた、すぐの香りのよい茶。煮ばな、出ばなの茶。散らしともいう。
(3)散茶女郎(じょろう)の略。その名称は、葉茶のように袋に入れて振り出すようにしない、湯に放し入れる散茶に通じ、客を振らないことからその名ができたといわれている。また、風呂屋(ふろや)の茶汲(ちゃくみ)女が、売春をしたので吉原へ集められたため、その名でよばれるようになったという説もある。散茶女郎が吉原に現れたのは寛文(かんぶん)年間(1661~73)である。吉原には遊女に階級があり、散茶女郎は太夫(たゆう)、格子(こうし)女郎の下に位置し、梅(埋め)茶女郎、切見世女郎の上にあったが、やがて上位の太夫、格子はなくなり、散茶は呼出(よびだし)、昼三(ちゅうさん)、附廻(つけまわし)の3種に分かれた。
[芳井敬郎]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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さんちゃ【散茶】
茶葉を1葉ずつばらばらに製する茶。普通、中国茶についていう。◇茶葉を蒸して押し固めて製する「緊圧茶(きんあつちゃ)」に対していう。中国では明代以前は禁圧茶が主流であったが、洪武帝が散茶を推進したためこれが主流となり、日本では一般にこれが普及している。
出典 講談社飲み物がわかる辞典について 情報
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散茶
さんちゃ
ひいて粉にした茶。転じて吉原遊女の一階級 (太夫,格子の下位) をさす呼称となった。寛文8 (1668) 年,江戸府内の湯女 500人余が吉原へ移されたが,この女たちは元来が湯女であったため,もとからの吉原遊女に比べて意地に乏しく客を振ることがない,ということから戯れに名づけられたもの。散茶は煎茶のように袋に入れて振出さないからである。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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普及版 字通
「散茶」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の散茶の言及
【花魁】より
…語源とともに使用の起源も明確でなく,元禄(1688‐1704)以前の用例が挙げられているが,一般化したのは1760年代の宝暦・明和ごろのようで,これは最高妓とされた太夫が吉原で消滅した時期と一致する。太夫の格をつぐ遊女は散茶(さんちや)であったが,散茶は呼出し,座敷持ちなどの階級に分かれていたため,散茶の上級妓を花魁と称して区別したのであろうか。洒落本《魂胆惣勘定》(1754)に〈おいらがとこ〉の里ことばが紹介されたように,そのころ流行した洒落本によって花魁という別称が普及したことは疑いない。…
※「散茶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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