1944年12月7日紀伊半島東側の熊野灘を中心に起こった巨大地震で,マグニチュードは8.0に達する。被害は静岡,愛知,三重,岐阜,奈良,和歌山各県にわたって,死者998人,重傷3059人,家屋の全壊2万6130,半壊4万6950におよび,特に第2次世界大戦中の名古屋重工業地区で大きい被害を生じた。地震後,津波が伊豆半島から紀伊半島の太平洋岸各地を襲い,波高は伊豆下田と御前崎で2m,伊勢湾沿岸で1~2m,熊野灘沿岸で6~8mに達し,津波による家屋流失3059に上った。この津波はハワイやカリフォルニアでも10~30cmの高さに達した。
地震後の水準測量と潮位変化の資料によれば,紀伊半島東岸では20~35cm,伊勢湾・渥美湾沿岸で15~20cm程度地盤が沈降した。また多数の余震が熊野灘南部から遠州灘を経て浜名湖北部にいたる広い地域に発生した。この余震の分布と,水準測量から求められた地殻の上下変動や,津波のデータから推定された波源域などを総合すると,この地震の震源域すなわち断層面の大きさは長さ120~150km,幅80~100kmに達すると推定されている。また地震波の観測や地殻変動のデータから,断層のすべり量は3~4mにもおよんだと思われる。
この地域では過去1360年(正平15・延文5),1498年(明応7),1707年(宝永4),1854年(安政1,安政地震I)などに巨大地震が繰り返し発生しているが,東南海地震はこれらの地震と同様に,フィリピンプレートが南海トラフに沿って日本列島の下へ北北西方向へ沈み込む際に,陸側のプレートが反発して両プレート境界面で起こった逆断層型巨大地震の一つと考えられる。この地震の2年後の1946年にすぐ西隣の地域で南海道地震が起こった。なお,この東南海地震直前の前日午後と当日午前,震源域東端に近い掛川市で行われていた水準測量で異常に大きい傾動が見いだされ,現在,前兆的異常地殻変動として注目されている。
執筆者:三雲 健
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1944年(昭和19)12月7日13時35分ころ、紀伊半島南東沖に発生した地震。規模はM8.0。震源の深さは30キロメートルであった。第二次世界大戦中のことであり、被害などの調査は十分には行われなかったが、死者998人、全半壊の住家は約7万戸にも及び、被害の大きかった地方は三重・愛知・静岡各県の沿岸域であった。津波は伊豆半島から紀伊半島の沿岸を襲った。震源域は熊野沖から遠州沖へかけての広い地域であるが、駿河(するが)湾内は破壊しなかったと考えられている。1854年(安政1)12月23日の安政(あんせい)地震のときには、駿河湾内も破壊したといわれる。このことが、近い将来に駿河湾内を震源とする東海地震の発生の予測の一つの根拠となっている。
[宇佐美龍夫]
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