平安前期の和歌撰集。2巻。序文によれば上巻は893年(寛平5)、下巻は913年(延喜13)成立という。原形は宇多(うだ)朝(887~897)の「寛平御時后宮歌合(かんぴょうのおおんとききさいのみやのうたあわせ)」歌を主体としてほかの歌合歌を加えて上下両巻に分かち、おのおの春・夏・秋・冬・恋(思)の五部立(ぶだて)に編集した和歌撰集であり、各歌の左に添えられた七言絶句の漢訳詩も当初は数首にすぎなかったものが増補されて現形に至ったと考えられる。『菅家(かんけ)万葉集』と異称されたが、菅原道真(すがわらのみちざね)自身の関与を裏づける確証はない。和歌の表記は万葉仮名(真名(まな)体)が用いられ、仮名遣いに平安初期の古態を残す。和歌と漢詩の表出方法の異同を考える好資料でもある。
[渡辺秀夫]
『久曽神昇著『新撰万葉集と研究』(1958・未刊国文資料刊行会)』▽『熊谷直春「新撰万葉集の成立」上下(『国文学研究』所収・1976.10、77.3・早稲田大学国文学会)』
私撰集。菅原道真撰か。上・下2巻。序によれば,成立は893年(寛平5)で913年(延喜13)に増補された。《菅家万葉集(かんけまんようしゆう)》とも称される。上・下巻ともに春,夏,秋,冬,恋に部立てされており,《寛平御時后宮歌合》《是貞親王家歌合》などの歌を撰歌資料とし,上巻に119首,下巻に108首の歌を万葉仮名で記し,1首ごとに七言絶句の漢詩を配している。《万葉集》以来初めての和歌の撰集として,9世紀後半の宮廷和歌文学を考える上で注目される。
執筆者:小沢 正夫
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…当代歌壇の権威者または地位の高い者が任じる)などのほか,主催者や和歌の清書人,歌題の撰者などが含まれる。
[沿革]
(1)第1期(885‐1107) 光孝天皇の遺志を継いだ宇多天皇が,摂関政治を抑圧して朝廷の権威を高める手段として,和歌再興の文化政策をいっそう効率的に推進したが,もっぱら菅原道真が中心となって勅撰和歌集の編纂が企画され,その予備行為としてまず《新撰万葉集》を撰ぶに際して,《寛平后宮歌合(かんぴようのきさいのみやのうたあわせ)》や《是貞親王家歌合》など100番・50番の大規模な歌合がその撰歌の場として催された。宮廷におけるこれらの歌合の開催は,漢詩文隆盛の平安朝初期に,沈滞していた詠歌への意欲を刺激して,次の醍醐天皇の代に《古今和歌集》(905)を成立させるにいたるのであるが,歌合も頻繁に催され,晴儀としての歌合の形式は急速に整い,913年(延喜13)の《亭子院歌合》を経て,960年(天徳4)の《天徳内裏歌合(てんとくのだいりのうたあわせ)》にいたって最初の完成に達した。…
…893年(寛平5)の秋以前に,宇多天皇が母の皇太夫人(ぶにん)班子女王の宮で催した歌合。春,夏,秋,冬,恋の5題各20番200首に及ぶ大規模な歌合であるが,実は《是貞親王家歌合(これさだのみこのいえのうたあわせ)》とともに宇多天皇が企図した勅撰和歌集の試行としての《新撰万葉集》の撰歌の手段であって,この歌合の左歌が《新撰万葉集》の上巻を,右歌が下巻を形成している。出詠歌人には,紀友則,藤原興風(おきかぜ)の13首,紀貫之の7首などが目立っている。…
※「新撰万葉集」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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