1964年(昭和39)6月16日13時01分ころ、新潟県沖に発生した地震。規模はM7.5。震源の深さは40キロメートル。津波が日本海沿岸各地に襲来した。死者は26人、新潟県北端の粟島(あわしま)では約1メートル隆起し、東側があがるように約1分傾いた。新潟市内にある昭和石油の石油タンクに引火し、この火災は7月1日に鎮火した。この地震では、水で飽和していた砂質の地盤が地震時に液体のようにふるまう液状化現象による建物の被害が目だった。新潟市内の鉄筋コンクリート建物1500のうち310が被害を受け、その3分の2が全体として沈んだり傾いたりしたが、建物の上部構造への被害は少なかった。
[宇佐美龍夫]
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…それを防ぐためには,周辺の地下水もある程度排水して,掘削底面からの浸透水の勢いを下げればよい。地震時に,水で飽和した緩い砂が液状化することもよく知られており,1964年の新潟地震のときにその現象が見られた。すなわち,新潟市の緩い砂地盤が地震で揺すられたとき,砂の間隙を満たしていた水が砂粒子の間を勢いよく地上へ押し出されながら砂を液状化したため,地中のマンホールは地上へ浮き上がり,地上の建物は傾いたり倒れたりした。…
…1944年の東南海地震(M7.9)と1946年の南海道地震(M8.0)もこの例であるが,このときは南海トラフの東端(駿河トラフと呼ばれる)までは震源域が広がらず,駿河湾から御前崎沖にかけては,安政地震以後破壊せず残っているものと考えられる。内陸部から日本海岸沖合にかけても,M7前後の大地震による災害が比較的多く,昭和年代にも1927年丹後地震(M7.3),1930年北伊豆地震(M7.3),1945年三河地震(M6.8),1948年福井地震(M7.1),1964年新潟地震(M7.5)などが数えられる。特に岐阜県とその周辺は745年(天平17)の天平地震,1586年(天正14)の天正地震,1891年濃尾地震(M8.0)のようにM8前後の巨大地震も起こる。…
…震度法による耐震設計は,必ずしも正式に示方書に明文化されないまでも,その後多くの土木構造物の耐震設計における基本的な考え方として徐々に定着していった。 現在の土木耐震構造にもっとも直接的な影響を及ぼした地震は64年の新潟地震である。新潟地震では,完成まもない昭和大橋の落橋を含む橋の被害,信濃川護岸や鉄道盛土の被害,ガス・水道の地下埋設管の大被害などが目だち,これらは多くの場合,砂質地盤の液状化(クイックサンド)に起因していることがわかった。…
…都市は人間の存在も含めた複合的なシステムであり,その全システムの安全化を考えるのが都市防災である。 戦後の都市防災対策の対応が具体的に進められる契機となったのは,1964年6月16日の新潟地震である。この地震は戦後の復興が思ったよりも順調に進み,近代都市へと生まれ変わろうとしていたときに起こり,近代都市の地震に対するもろさを示したものであった。…
※「新潟地震」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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