1972年に田中角栄通商産業相(当時)が発表した政策構想。急激な高度成長で起こった大都市圏の人口増加や公害問題を背景に、交通網の整備と産業の地方分散で地域間格差の解消を目指した。同年首相に就任すると「列島改造ブーム」が起き、著書は90万部を超えるベストセラーとなった。その後、開発を見込んだ不動産投機の過熱で地価が高騰。第1次オイルショックも重なり「狂乱物価」と呼ばれるインフレが加速した。74年に金脈問題を受けて退陣し、構想は頓挫した。
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…佐藤内閣は円の変動相場制への移行を決定しこれに対応したが,高度成長を支える最大の基盤がなくなったのである。72年7月,佐藤内閣にかわって田中角栄内閣が成立したが,田中首相はこうした国際条件の変化にもかかわらず,〈日本列島改造論〉をかかげて,いぜんとして大型公共投資を中心とする経済成長政策を追い求めようとした。この結果土地投機ブームが起こり,それとともに物価上昇のテンポが速まったが,そこを73年10月,第4次中東戦争にさいしてのアラブ産油国の石油戦略によるオイル・ショック(石油危機)が直撃した。…
…国や地方自治体が,その時代に直面する課題を解決し,国民生活の向上と安定に寄与するために,地域の資源や土地,労働力を有効に活用して地域の生産力や所得・雇用を増大させる政策をとることを地域開発と呼ぶ。それゆえ,地域開発は経済政策の一分野ということができる。この地域開発を全国的な規模で推進することによって,国土をより有効に利用し,国民経済の発展や地域格差の是正,未利用資源の活用,国土の保全などを総合的に図るのが国土総合開発である。…
…一方,1968年の三井不動産による日本初の超高層ビル〈霞が関ビル〉の完成を皮切りに,大手民間不動産会社による超高層ビルの建設が始まり,大手は従来のビル賃貸業から都市再開発を推進するデベロッパーへの転身が進んでいった。 しかし昭和40年代後半になると,1971年のドル・ショックとこれに続く金融緩和,〈日本列島改造論〉によって刺激された土地ブームのもとで,大小を問わず不動産業者は土地買いに殺到し,土地価格は暴騰してインフレ状態がもたらされた。こうした状況のもとで昭和40年代末から金融引締政策とともに,各種の土地開発規制策がとられるようになり,不動産業をめぐる環境は激変してきた。…
※「日本列島改造論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」