経済4団体(経団連,日商,日経連,同友会)の一つ。その機能から〈財界労務部〉と称され,〈日経連〉の略称で呼ばれることが多い。第2次大戦前,この種の団体としてあった全産連(全国産業団体連合会。〈日本工業俱楽部(クラブ)〉の項目参照)は,1931年政府の労働組合法案反対を契機として結成されたもので,大日本産業報国会の成立に伴い42年解消した。戦後の日経連は,労働組合を前提とした民主的な労使関係のあり方につき経営者への啓発,調査,連携,意見具申などに当たる経営者団体の中央機関として設立された。戦後労働組合の中央組織に対応する経営者の全国団体は,当初占領軍の方針で認められず,まず46年6月関東経営者協会をはじめ地方別・業種別の団体が設置され,これらを結集して全国組織として48年4月日経連が創立された。
会員は83年3月現在で,北海道,東北,関東,中部,関西,中国,四国,九州の地方ブロックと,これを含めた各県経営者協会の地方別団体47と日本鉄鋼連盟,日本電機工業会,日本民営鉄道協会など業種別団体57の計104団体。経済4団体のなかで労働・労務問題を専管し,地方別・業種別両組織をもつのは他に類がない。創立当時は労使関係が極度に荒れていて,経営者側は激しい労働攻勢にさらされていた。日経連は〈経営者よ正しく強かれ〉(設立宣言末尾の言葉)と経営権確立をモットーとして,その後も重要争議などを通じて経営者の意識統一に努め,1955年以来毎年春闘に経営者側へ指針を示した。70年から生産性基準原理(物価高騰防止のため賃金上昇率を労働生産性の伸び率の枠内にとどめること)を提唱し,75年以来毎年報告書で徹底を期している。創立以来21年間専務理事を務めた前田一(1895-1978)は《サラリーマン物語》(1927)で〈サラリーマン〉という言葉を定着させた人物でもあるが,毎年の日経連総会での労働情勢報告は的確な数字と広い識見を織り込んでいると評価され,また1950年代半ば以降は総評の太田薫議長と好対照の財界を代表するスターであった。しかし組合対策だけが日経連の主要活動ではない。初代代表常任理事諸井貫一(秩父セメント社長,1896-1968)は経営者啓蒙を第一任務とし,続く桜田武会長(日清紡社長)も78年創立30年記念総会で,経営モラルの確立,人間関係の重視,社会的貢献を創立以来の三大使命に掲げた。なお日経連は,創立当初は代表常任理事制だったが,1949年5月以降は会長制をとっている。
日経連は,経営者啓発のため月刊《経営者》(1947創刊)の発行などの広報活動,企業への労務相談のほか,教育活動として企業内訓練の指導普及に当たる日産訓(日本産業訓練協会)の創設(1955),日経連人材開発センター富士研修所開設(1967)と同所での経営トップセミナー(1969以降),海外調査団派遣などを行っている。2002年5月,経済団体連合会(経団連)と統合して日本経済団体連合会となった。
→経営者団体
執筆者:中山 三郎
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労働組合に対応した経営者団体の全国組織。日経連と略称された。2002年(平成14)経済団体連合会と統合し、日本経済団体連合会となった。
[編集部]
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