デジタル大辞泉
「日本経済団体連合会」の意味・読み・例文・類語
にっぽん‐けいざいだんたいれんごうかい〔‐ケイザイダンタイレンガフクワイ〕【日本経済団体連合会】
東証一部上場企業や業種別団体・経済団体によって構成される総合経済団体。経済三団体の一。経済界の意見を取りまとめ、政治・行政・労働組合・市民に幅広く働きかける。外国の政府・経済団体や国際機関とも対話を通じて問題解決や経済関係の緊密化を図る。昭和21年(1946)に経済団体連合会として設立。平成14年(2002)に日本経営者団体連盟(日経連)と統合し、日本経済団体連合会として発足。経団連。JBF(Japan Business Federation)。
[補説]平成14年(2002)5月~平成23年(2011)6月は「日本経団連」の略称を使用した。
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日本経済団体連合会
にっぽんけいざいだんたいれんごうかい
Japan Business Federation
社団法人組織の全国的総合経済団体。経済団体連合会と日本経営者団体連盟が2002年(平成14)5月に統合してできた。略称は経団連(2011年5月まで日本経団連という略称も用いられた)。経済同友会(同友会)および日本商工会議所(日商)とあわせて、経済3団体と総称される。
名称が示すように、部門別・業種別の経済団体および有力企業のような法人から構成される普通会員と、経営者および推薦された学識経験者などからなる個人会員とから構成されている。活動内容は、重要な問題に対する経済界の意見の政府や国会への建議、声明の発表、各種専門委員会による研究・調査、経済諸団体相互間の連絡、広報などである。それらで取り上げる問題は、経済、産業、財政、税制、労働等経済問題に限定されることなく、外交、防衛、教育、福祉等にまで及び、国政への影響力は至大である。そのゆえに経団連は、財界の総本山とよばれたり、その会長は財界総理と称されたりする。これらのほか、政治献金の取り仕切りや調整、各政党の政策評価を行ったこともあるが、政局との関連で推移は微妙である。
前身の一つ経済団体連合会の源流は、第二次世界大戦直後の混乱期の1946年(昭和21)にできた日本経済連盟会、重要産業協議会(重産協、後の日本産業協議会=日産協)、全国商工経済会(後の日商)、貿易団体協議会(後の日本貿易会)、商工組合中央会(後の日本中小企業団体連盟=日中連)からなる連合体であった。1952年、日商と日中連の脱退、日産協の解体・吸収により、業種別団体の連合体としての経済団体連合会が発足した。その機能は、現在の経団連の主要な機能に引き継がれている。
もう一つの前身である日本経営者団体連盟の源流は、1947年に関東経営者協会を中心として結成された経営者団体連合会である。それが翌1948年に改組され、労働組合に対応する経営者団体の全国組織としての日本経営者団体連盟になった。それは、地方別経営者団体と業種別経営者団体によって構成され、労使関係全般にわたる経営者側の団結、方針の掲示と指導、政府や国会に対する労働問題の政策提言や意見具申を主要な目的とした。とくに春闘に関する賃上げガイドラインの提示は、大きな影響力を有していた。
日本経済全般の発展・国際化と労使関係の成熟により、経済団体連合会と日本経営者団体連盟の取り扱う問題は相互に関連し重複するようになった。また両組織の構成員も、内容的に重複する部分が多かった。このような環境変化が、両者の統合を促すこととなった。
[森本三男]
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百科事典マイペディア
「日本経済団体連合会」の意味・わかりやすい解説
日本経済団体連合会【にほんけいざいだんたいれんごうかい】
経済団体連合会(経団連)と日本経営者団体連盟(日経連)が統合して,2002年5月に新たに設立された社団法人で日本最大の経済団体。略称は日本経団連。経済団体連合会は1946年に日本経済の再建・復興を目的として設立された団体で,日本経営者団体連盟は1948年に適正な労使関係の確立を目的として設立された。日本経団連は,企業の付加価値創造力の向上と,その活動を支える個人や地域の活力の向上を促し,日本経済と世界経済の発展を促進することを使命に,経済・産業分野における政策課題をはじめ,税制や社会保障などの重要課題について経済界の意見を政府に提言している。初代会長には当時日経連会長を務めていた奥田碩トヨタ自動車会長が就任した。2011年6月現在,日本の代表的な企業1281社,製造業やサービス業などの主要な業種別全国団体127団体,地方別経済団体47団体などから構成され,会員数は1603社・団体にのぼる。
→関連項目法人税
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日本経済団体連合会
にっぽんけいざいだんたいれんごうかい
経済団体連合会(経団連)と日本経営者団体連盟(日経連)が 2002年5月に統合して誕生した日本最大の総合経済団体。略称は日本経団連。経団連は「財界総本山」,日経連は「財界労務部」とそれぞれ呼ばれ,第2次世界大戦後の日本産業界をリードしてきた。しかし,政治資金斡旋中止を決めたあとの経団連の政治力低迷や,労働争議の沈静化をうけた日経連の役割低下で,財界の不要論が浮上。経済界の政治的発言力の回復を主眼に,両団体は統合を決断した。初代会長は奥田碩(おくだひろし)トヨタ自動車会長。日本経団連の発足で,国内の経済団体は,中小企業の意見を集約する日本商工会議所,経営者が個人資格で加わる経済同友会と合わせ,3団体体制になった。
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知恵蔵
「日本経済団体連合会」の解説
日本経済団体連合会
2002年5月28日、経済・産業政策を主軸に活動した経団連(経済団体連合会、「財界の総本山」とも呼ばれた)と、労使関係・賃金問題を担当した日経連(日本経営者団体連盟、通称「財界の労務部」)が統合、設立された総合経済団体、社団法人。設立総会では、「両者が培ってきた経験とネットワークの統合により、政策提言能力と実行力を一層高め、労働問題を含め経済界が直面する諸問題の迅速かつ着実な解決を目指す」とし、(1)経営改革を進める、(2)新たな事業、雇用機会を創造する、(3)国・地方を通じた簡素で効率的な政府を実現する、(4)地球環境問題の解決に取り組む、(5)対外経済政策を戦略的に推進する、(6)政治と経済界の新たな関係を確立することを決議した。役員は御手洗冨士夫会長(キヤノン会長)、ほか副会長15人など。
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日本経済団体連合会
2002年に経団連(経済団体連合会)と日経連(日本経営者団体連盟)の融合で誕生した総合経済団体。経団連は戦後の経済復興のために結成され、伝統的に政界との結びつきが強い。日経連は戦後の労働運動の高まりのなか結成され労働問題を主に取り扱った。1990年代に、それまで強力な発言力を持っていた経団連が政治献金問題で力を減退させ、同じく労働運動の沈静化の流れで後退気味だった日経連と協力体制を組むことになり、日本経済団体連合会が誕生した。会員数は1647の企業・団体など(2005年6月21日現在)と大規模な組織であり、企業間の連絡を密に行ない、経済界の意見を政治、行政、労働組織など各界に反映させている。
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