1952年9月17日,静岡県焼津の漁船〈第11明神丸〉が東京の南約320kmのベヨネース列岩の東北東約10kmに,海底火山の爆発で生じた新島を発見した。この島の位置は翌日巡視船〈しきね〉により北緯31°56.7′,東経140°00.5′と確認された。引き続く爆発により同年9月23日には島がいったん消滅し,その後再び復活して一時は長径230m,短径160m,標高94mの島に発達した。この島も翌53年8,9月の大爆発によって水没し,以後水面上に姿を現したことはない。海中噴火のみはその後も60年ころまで断続的に続き,いったん休止後70年1月29日より活動を再開し,同年4月23日の大爆発を最後にその後は沈黙している。同海域では1946年にも島を形成した記録があり,またそれ以前にもしばしば海中噴火があったことが報告されている。また52年9月24日に海上保安庁水路部の測量船〈第5海洋丸〉が同礁の調査中,海中爆発に遭遇,調査・乗組員計31名が殉職した。
執筆者:小坂 丈予
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東京都伊豆諸島青ヶ島の南約60キロメートルのベヨネース列岩の東方にある暗礁で、富士火山帯に属する石英安山岩の活火山。海面下約1500メートルに基底をもち、同列岩を外輪山の西縁とする二重式の一大海底火山の中央火口丘とみられる。1952年(昭和27)9月17日朝、海底噴火と新火山島誕生を発見した漁船第十一明神丸の名にちなんで命名。以後約1年間に3回以上も溶岩円頂丘の新島ができたが、標高200~300メートルに成長すると、大爆発で海面下に没した。その最初の爆砕期に海上保安庁水路部の観測船第五海洋丸が遭難、全乗員31人が殉職し、世界火山観測史上最大の惨事となった。
付近では、1869年(明治2)以降、十数回も海底噴火が記録され、1896年と1946年にも新島が出没。1970年にも数回海底爆発が認められ、波浪(はろう)礁をなした。以後も1986年までに4回海底火山活動によるらしい海水変色が視認された。
[諏訪 彰]
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