明神礁(読み)ミョウジンショウ

デジタル大辞泉 「明神礁」の意味・読み・例文・類語

みょうじん‐しょう〔ミヤウジンセウ〕【明神礁】

伊豆諸島南部の海底火山青ヶ島の南58キロ、ベヨネース列岩の東9キロにある。昭和27年(1952)噴火して新島を形成し、漁船第十一明神丸が発見。翌年大爆発水没

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精選版 日本国語大辞典 「明神礁」の意味・読み・例文・類語

みょうじん‐しょうミャウジンセウ【明神礁】

  1. 東京都伊豆諸島南端の青ケ島南方約五八キロメートルにある海底火山。昭和二一年(一九四六)新島が出現。同二七年の大爆発で再び海上に出現したが、その後は噴火もやみ、海面下の岩礁となっている。名称はこれを発見した第十一明神丸に由来する。

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改訂新版 世界大百科事典 「明神礁」の意味・わかりやすい解説

明神礁 (みょうじんしょう)

1952年9月17日,静岡県焼津の漁船〈第11明神丸〉が東京の南約320kmのベヨネース列岩東北東約10kmに,海底火山の爆発で生じた新島を発見した。この島の位置は翌日巡視船〈しきね〉により北緯31°56.7′,東経140°00.5′と確認された。引き続く爆発により同年9月23日には島がいったん消滅し,その後再び復活して一時は長径230m,短径160m,標高94mの島に発達した。この島も翌53年8,9月の大爆発によって水没し,以後水面上に姿を現したことはない。海中噴火のみはその後も60年ころまで断続的に続き,いったん休止後70年1月29日より活動を再開し,同年4月23日の大爆発を最後にその後は沈黙している。同海域では1946年にも島を形成した記録があり,またそれ以前にもしばしば海中噴火があったことが報告されている。また52年9月24日に海上保安庁水路部測量船〈第5海洋丸〉が同礁の調査中,海中爆発に遭遇,調査・乗組員計31名が殉職した。
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日本歴史地名大系 「明神礁」の解説

明神礁
みようじんしよう

ベヨネーズ列岩の東約八キロ、青ヶ島の南方約五八キロにある岩礁。昭和二七年(一九五二)九月に新火山島として海上に出現した。同月二四日には海上保安庁水路部の調査船第五海洋丸が当礁を調査中に海中爆発に遭い、三一名が殉職している。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「明神礁」の意味・わかりやすい解説

明神礁
みょうじんしょう

東京都伊豆諸島青ヶ島の南約60キロメートルのベヨネース列岩の東方にある暗礁で、富士火山帯に属する石英安山岩活火山。海面下約1500メートルに基底をもち、同列岩を外輪山の西縁とする二重式の一大海底火山の中央火口丘とみられる。1952年(昭和27)9月17日朝、海底噴火と新火山島誕生を発見した漁船第十一明神丸の名にちなんで命名。以後約1年間に3回以上も溶岩円頂丘の新島ができたが、標高200~300メートルに成長すると、大爆発で海面下に没した。その最初の爆砕期に海上保安庁水路部の観測船第五海洋丸が遭難、全乗員31人が殉職し、世界火山観測史上最大の惨事となった。

 付近では、1869年(明治2)以降、十数回も海底噴火が記録され、1896年と1946年にも新島が出没。1970年にも数回海底爆発が認められ、波浪(はろう)礁をなした。以後も1986年までに4回海底火山活動によるらしい海水変色が視認された。

[諏訪 彰]

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百科事典マイペディア 「明神礁」の意味・わかりやすい解説

明神礁【みょうじんしょう】

伊豆諸島ベヨネース列岩の東約9kmにある岩礁。1952年9月17日北緯31°57′,東経140°0′の地点に爆発した海底火山で,航行中の第十一明神丸が発見。同月24日には水路部の第五海洋丸が遭難し31名の死者を出した。ベヨネース列岩を含む直径約10kmのカルデラの東縁付近に形成された後カルデラ丘とみられ,以来1953年12月まで間欠的に爆発,1970年2月以降数回の爆発が報告された。
→関連項目伊豆諸島海底噴火ベヨネース列岩

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「明神礁」の意味・わかりやすい解説

明神礁
みょうじんしょう

東京都,伊豆諸島の南部に生じた岩礁。付近は巨大な海底複式火山で,外輪山の西部にあたる岩礁群がベヨネース列岩で,その中央火口丘が明神礁である。 1952年海底火山の大爆発で,海上に高さ約 30m,東西約 100m,南北約 150mの山頂が突出,53年まで間欠的に噴火を続け,当時調査中の『第5海洋丸』は 1952年9月 24日の爆発で遭難し,調査員,乗組員 31名が全員殉職した。 54,60年にも噴火したが,のち治まり島は海中に没した。 71年以降,付近の海が白く濁るなど,活動の兆候が認められている。付近の海域はカツオの好漁場である。

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