青ヶ島(読み)アオガシマ

デジタル大辞泉 「青ヶ島」の意味・読み・例文・類語

あお‐が‐しま〔あを‐〕【青ヶ島】

伊豆諸島の、八丈島の南約70キロにある火山島。面積5.2平方キロメートル。東京都に属する。

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日本歴史地名大系 「青ヶ島」の解説

青ヶ島
あおがしま

八丈島の南約六五キロ、東京都心から南方約三五七キロに位置する島で、伊豆諸島最南端の島。おのこ島・オフノ島・おにヶ島・小鬼こてか島・あし島ともよばれる。複式火山島で、島南部の火口原池之沢いけのさわとよばれ、天明三年(一七八三)の噴火以前は池之沢に大池・小池があり、水をたたえていた。池之沢の中央には火口丘まる(二二三メートル)がそびえる。その西方にある大凸部おおとんぶ(標高四二三メートル)が島の最高峰、南東方の外輪山大人ヶ凸部おおじんがとんぶ(標高三三四メートル)が第二の高峰になっている。島の周囲は五〇―二五〇メートルの海崖で安定した港湾施設がなく、島の南西部に位置する唯一の港三宝さんぼう(シャンボウともいい、現在は青ヶ島港ともよぶ)も大三宝・小三宝の二つの岩が波除けの役割を果す小さな湾になっているが、波の穏やかな時だけ使用される不安定な船着場である。北西部の西郷せいしごうが唯一の集落になっており、東隣の休戸郷やすんどごうに村役場・小学校・中学校などがある。島の北部にある丘地、長の凸部ちようのとんぶは金毘羅神社・赤羽明神・大田明神・八大竜王・風神の社祠がある。船見の丘ともいわれ、船の来航に際してはノロシを上げ、ホラ貝を鳴らして船に合図を送ったとの伝承がある。島外交通は従来、八丈島からの船便だけに頼っていたが、近年ヘリコプターによる手段が重要視されてきた。

現在まで青ヶ島では考古学上の遺跡・遺物は発見されていない。保元の乱で敗れた源為朝は伊豆大島に流され、その地で死亡している。しかし後代の人々はこの不世出の英雄の死を認めようとはせず、青ヶ島にまで渡ったと信じている。古活字本「保元物語」では為朝は「鬼が島」にわたり、島の呼名を「蘆島」にかえたと記される。この鬼が島は青ヶ島にあてられているが、もちろん史実ではない。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「青ヶ島」の意味・わかりやすい解説

青ヶ島(村)
あおがしま

東京都八丈支庁に属する村。伊豆諸島最南端の青ヶ島全島を範囲とする。東京の南358キロメートル、八丈島の南68キロメートルの洋上に位置する。火山島で、周囲は絶壁であり青ヶ島港(三宝(さんぽう)港)の設備が不十分であったため、風波の強いときは艀(はしけ)の着岸が困難で欠航となることが多かったが、港湾整備が進み、2000年(平成12)には大型貨客船(500トンまで)の接岸が可能となった。1993年(平成5)ヘリコミューター路線が就航、八丈島との間に便がある。外輪山北部の休戸郷(やすんどごう)と西郷(にしごう)がおもな集落である。耕地は少なく、サツマイモサトイモ、麦などが自給用に栽培されていた。1965年(昭和40)ごろから肉牛が導入され、1990年代には温暖な気候を生かした熱帯果物パッションフルーツの栽培も盛んとなった。主産業は長く木炭に依存してきたが、木炭の衰退後は土木事業などに従事し、1980年代以降はサービス業も増加している。近年は、花卉(かき)栽培のほか、島中央部の火山の噴気孔(ひんぎゃ)の蒸気を熱源として海水を煮詰めてつくる「ひんぎゃの塩」や、サツマイモ・麦麹を原料とした焼酎の製造が盛んである。近海は、好漁場であるため、水産業振興のための漁港の整備が進められ、漁船用索道も設置(1997)された。亜熱帯海洋性気候と、祭文(さいもん)が語られるなど古い民俗を残していることから観光地としても期待され、島民との交流施設「ふれあいサウナ」(1992年完成)が設けられた。明治時代には人口750を数えたが、減少している。なお、室町時代は関東管領(かんれい)上杉氏、戦国時代は後北条氏(ごほうじょううじ)の支配を受け、江戸時代は天領であった。面積5.96平方キロメートル、人口169(2020)。

[沢田 清]



青ヶ島
あおがしま

東京都、伊豆諸島の最南端にある島。八丈支庁青ヶ島村に属す。八丈島の南約67キロメートルの海上に位置し、長軸3.5キロメートル、短軸2キロメートル、楕円(だえん)形をなす。二重式の活火山島である。面積5.97平方キロメートル。外輪山は玄武岩中央火口丘安山岩からなる。カルデラは直径1.5キロメートルで、外輪山の北西縁が島の最高点(423メートル)。噴火は爆発型で、1783~1785年(天明3~5)の大噴火では溶岩も流出。家屋はほとんど焼失し、死者約140人、生き残りの約200人は八丈島へ避難し、半世紀後にようやく帰島。数か所に噴気、地熱地域がある。島の周囲は高さ50~200メートルの海食崖(がい)で囲まれている。高温多雨の亜熱帯性気候の島である。人口157(2009)。

[菊池万雄・諏訪 彰]

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改訂新版 世界大百科事典 「青ヶ島」の意味・わかりやすい解説

青ヶ島 (あおがしま)

東京都,伊豆諸島八丈島南方約70kmにある島。一島で八丈支庁青ヶ島村をなし,面積5.98km2,人口201(2010)。伊豆諸島の中で居住のみられる最南端の島である。全島が玄武岩および安山岩よりなる複式成層火山で,最高点は外輪山の大凸部(おおとんぶ)で423m。外輪山内の火口原には比高約120mの中央火口丘丸山があって模型的な火山形態を示している。島の周囲は高さ100m余に及ぶ海食崖によって囲まれ,港湾の建設はさまたげられ,漁業はふるわない。上陸は北端の神子浦(みこうら)と南西端の三宝港に限られ,冬季は欠航することが多い。外輪山の外側北斜面に,西郷,休戸郷(やすんどごう)の2集落がほとんど相接して位置している。1785年(天明5)の丸山大噴火によって,全住民は八丈島南東部の末吉に避難して農耕を営んでいたため,青ヶ島は約50年間無人島となったが,1834年(天保5)に帰島して,現在の集落を形成した。外輪山の内側のカルデラ内には池ノ沢の集落があり,風当りが弱く,火口原の地熱で冬季も暖かい。完全な天水依存地域であったが,1980年ころから簡易水道が普及し,以後も施設の増設,整備が進められている。島の経済は製炭で支えられていたが,現在は肉用和牛の飼育やパッションフルーツの栽培に力が入れられている。長い間ランプを使っていたが,1968年ディーゼル発電による電灯がつき,テレビも普及している。また八丈島との間の航路のほか,1日1便のヘリコプター航路がある。明治時代700人余だった人口は減少が著しいが,近年Uターン現象がみられるようになった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「青ヶ島」の意味・わかりやすい解説

青ヶ島
あおがしま

東京都伊豆諸島八丈島の南約 70kmにある複式火山島(→複式火山)。活火山で,常時観測火山。一島で青ヶ島村を構成。典型的な成層火山で,海岸線は大部分が高さ 200m前後の断崖絶壁で港湾設備はない。17~18世紀にたび重なる噴火に見舞われ,天明5(1785)年の噴火では多数の死者を出し全島民が避難,一時期無人島となった。八丈島からの定期船は,南西岸の三宝港で,本船とはしけで連絡,接岸する。高温多湿の亜熱帯気候で,全島にタブノキ,ハマアジサイ,オオバヤシなどの亜熱帯性植物が生育する。面積 5.97km2。人口 203(2000)。

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百科事典マイペディア 「青ヶ島」の意味・わかりやすい解説

青ヶ島【あおがしま】

東京から約360km南方にある伊豆諸島中の島。東京都八丈支庁青ヶ島村をなし,5.96km2,201人(2010)。15世紀には定住者がいたとされ,上杉氏,小田原北条氏の勢力下にあったという。江戸時代には噴火や地震により,八丈島への移住などもあった。全島断崖に囲まれた火山島(活火山)で耕地も少なく,サツマイモ・サトイモ栽培,漁業も自給程度。良港がなく八丈島との間は船便,ヘリコミューターで結ばれる。
→関連項目八丈実記ベヨネース列岩

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世界大百科事典(旧版)内の青ヶ島の言及

【青ヶ島】より

…東京都,伊豆諸島八丈島南方約70kmにある島。一島で八丈支庁青ヶ島村をなし,面積5.98km2,人口237(1995)。伊豆諸島の中で居住のみられる最南端の島である。…

※「青ヶ島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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