読本。上田秋成作。10巻。寛政(1789-1801)の末年ころから最晩年までの約10年をかけて書かれた物語集で,1808年(文化5)10巻にまとめられたあと,翌年にかけて全面的に改稿された。文化6年の最終自筆本のほか,数種の文化5年本(稿本)が伝えられる。内容は三つに大別され,(1)薬子(くすこ)の乱に取材し,平城(へいぜい)帝の内面の推移を描いた〈血かたびら〉,列伝ふうの人物批評をまじえながら,良岑宗貞(のちの僧正遍昭)を中心に平安初期の時代相を描いた〈天津処女(あまつおとめ)〉,紀貫之に対して,自由人文室秋津(ふんやのあきつ)の口をかりて作者の持説を語る〈海賊〉など冒頭の歴史物語,(2)妖異な神々が,都を志す旅の若者に歌道伝授の無意味を諭す〈目ひとつの神〉,歌の遇不遇を論ずる万葉類歌論にあわせて自己の歌道論を記した〈歌のほまれ〉など,作者の学問研究の成果を芸文のかたちに変換した寓言(ぐうげん)小説(〈海賊〉をこれに含めることもできる),(3)蘇生した入定(にゆうじよう)僧の聖性脱落のさまを描いた〈二世の縁〉,結婚を阻まれた妹の首を兄が婚家の庭先で斬り落とす悲劇を描く〈死首の咲顔(えがお)〉,野性の男が主殺しの誤解をうけて逃亡ののち,一念発起して青の洞門を開削する〈捨石丸〉,悲恋の遊女が入水して節をとおす〈宮木が塚〉,奔放無頼な野性児大蔵が悪業を重ねながら全国を放浪し,のち頓悟するまでの魂の遍歴と成長を描いた〈樊噲(はんかい)〉上下など,口碑巷説に取材した物語である。
はじめ歴史物語集として構想されたといわれ,冒頭3編にそのかたちが残されている。なかでも〈血かたびら〉は結晶度が高く,蒼古雄勁の評(芥川竜之介)に恥じない。後半の諸作では,一度凝縮した小説的修辞をつき崩すことによって新しい語りの地平が模索されており,作者の人間認識の深みが独自なかたちで形象されている。特に〈樊噲〉は生涯の最後を飾る大作で,自由で剛直,行動的な人間像が躍動的に描き出されていて,近世文学の一つの到達点をそこにうかがうことができる。
執筆者:中村 博保
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上田秋成(あきなり)作の小説集。作者最晩年の1808年(文化5)に一度まとめられたあと、没年である翌年にかけて全面的な改稿が行われていた。薬子(くすこ)の乱に取材し、新来の中国文化と古代の心性(エートス)の衝突を描いた「血かたびら」、遍昭(へんじょう)や清麿(きよまろ)の点描を交えつつ王朝初期の時代相を記した「天津処女(あまつおとめ)」、剛直な海賊文屋秋津(ふんやのあきつ)と紀貫之(きのつらゆき)の対話を戯述した「海賊」、掘り出された禅定(ぜんじょう)僧の乾いた生を描いた「二世(にせ)の縁(えにし)」、古怪な野の神の口を借りて自説を開陳した「目(め)ひとつの神」、女性の首を斬(き)り落とすことによって悲恋に結末がつけられた物語「死首(しくび)の咲顔(えがお)」、恩讐(おんしゅう)をのりこえた東北(みちのく)の野生児と若者の話「捨石丸(すていしまる)」、伝説の遊女宮木(みやぎ)の入水(じゅすい)を語った「宮木が塚」、万葉の類歌を論じて自己の歌論を述べた「歌のほまれ」、親殺しの大罪人大蔵が全国を放浪したあと開悟するまでの魂の遍歴を描いた晩年の代表作「樊噲(はんかい)」の10編からなる。時代の流行とかかわりないところで書かれ、写本の形で伝えられてきた。完本は第二次世界大戦後になって発見された。
[中村博保]
『中村博保他校注・訳『日本古典文学全集48 英草紙・西山物語・雨月物語・春雨物語』(1973・小学館)』
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