高家(読み)コウケ

デジタル大辞泉 「高家」の意味・読み・例文・類語

こう‐け〔カウ‐〕【高家/豪家】

格式の高い家。由緒正しい家柄。また、権勢のある家柄。名門。摂関家や武家の名族をいう。
後ろだてとする権勢。また、その権勢を借りていばること。
「大将殿をぞ―には思ひ聞こゆらむ」〈・葵〉
頼みとするところ。口実。よりどころ。
「ただ老いを―にていらへ居る」〈宇治拾遺・九〉
江戸幕府の職名。伊勢・日光への代参、勅使の接待、朝廷への使い、幕府の儀式典礼関係などをつかさどった。足利氏以来の名家の吉良・武田・畠山・織田・六角家などが世襲。禄高は少なかったが、官位大名に準じて高かった。
[補説]「豪」の漢音も「こう」であることから「豪家」の漢字が当てられ、「ごうけ」と読まれることも多い。

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精選版 日本国語大辞典 「高家」の意味・読み・例文・類語

こう‐けカウ‥【高家・豪家】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「豪」の漢音は「こう」。「ごう」は慣用音 )
  2. 家柄のよい家。格式の高い旧家。名家。また、権勢のある家。
    1. [初出の実例]「市人等属仕王臣家本司、事加召勘則称高家従者」(出典:類聚三代格‐一九・貞観六年(864)九月四日)
    2. 「かうけを頼み、たからを尽して、したにくくりをしつつはなやぐ人は学生にはあらず」(出典:宇津保物語(970‐999頃)祭の使)
  3. たよりとする権威あるもの。頼みと思うところ。たよりどころ。また、その権威。
    1. [初出の実例]「この御もののけをかうけにて、さまざまあるにこそありけれ」(出典:栄花物語(1028‐92頃)玉の村菊)
  4. 特に、武家の名門。由緒正しい武家の家柄。
    1. [初出の実例]「高家(カウケ)には秩父・足利・三浦」(出典:源平盛衰記(14C前)三七)
  5. 公家(くげ)公卿(くぎょう)
    1. [初出の実例]「らくやうのこうけ、一人ものこらずきんだちを引くし」(出典:説経節・あいごの若(山本九兵衛板)(1661)初)
  6. 江戸幕府の身分兼職名の一つ。老中の支配に属し、朝廷への使節、伊勢・日光への代拝、勅使・公卿衆の接待、その他幕府の儀式、典礼をつかさどった。武田、畠山、織田、上杉、吉良など、室町以来の名家が任ぜられ、万石以下ではあったが、官位は大名に準ぜられ、四位・五位の侍従、または少将に昇進できた。
    1. [初出の実例]「東の高家入間殿より御養子ぶんの約束にて」(出典:浄瑠璃・丹波与作待夜の小室節(1707頃)上)

高家の補助注記

→「ごうけ(豪家)」の補注

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改訂新版 世界大百科事典 「高家」の意味・わかりやすい解説

高家 (こうけ)

名家の意。近世においては名家の末流で江戸幕府に仕え,その儀式,典礼(とくに朝廷関係)をつかさどることを世職とした人およびその家。1603年(慶長8)徳川家康の将軍宣下の際,宣旨を入れた覧箱(らんばこ)の受渡しの役を務めた大沢基宿(もといえ)がその起源とされる。59年(万治2)には高家衆として吉良,今川,品川,上杉,大沢,戸田の6人がおり,以後しだいに増加し26家に及んだ。京都への使者,伊勢・日光参詣の名代のほか,江戸に下向する勅使・院使等公家衆の接待にあたり,そのおり饗応役の大名に礼法を指導した。平日は交代で江戸城雁間に詰めた。1723年(享保8)制定の役高は1500石,官位は従五位下侍従より従四位上少将に至った。これは大名では国主や三家の庶流に与えられる高い官位である。なお高家衆の中から肝煎(きもいり)若干名が選ばれ,京都のことを専管した。また幼少の者やまだ習熟しない者は表高家といって,非役,無位無官であった。
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百科事典マイペディア 「高家」の意味・わかりやすい解説

高家【こうけ】

江戸幕府の職名。老中支配下にあり,儀式典礼,特に対朝廷関係のことにあたった。高家は元来名家の意で,室町時代以来の名門,吉良(きら)氏・畠山氏・大沢氏・今川氏上杉氏などが世襲的に任ぜられた。役高1500石。京都への使者,勅使等公家衆の接待,伊勢・日光代参などが主な任務で,また公家衆饗応役の大名には礼法を指導した。→吉良義央(きらよしなか)/奏者番(そうしゃばん)
→関連項目赤穂浪士

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高家」の意味・わかりやすい解説

高家
こうけ

江戸幕府の職名。老中支配に属し、勅使接待、伝奏(てんそう)御用、京都・日光・伊勢(いせ)の各名代など、朝廷・公家(くげ)関係の儀式典礼をつかさどった。畠山(はたけやま)・由良(ゆら)・大友氏など中世以来の名家や日野・中条氏など公家の分家が多く、大名に準じた官位を受けた。慶長(けいちょう)期(1596~1615)に大沢基宿(もといえ)(持明院流)、続いて吉良義弥(きらよしみつ)(足利(あしかが)氏庶流)が伝奏御用を勤めたのが始まりといわれ、以後しだいに増加していった。江戸後期には26家が数えられる。役高1500石、家禄(かろく)は5000石の畠山氏を筆頭に1000石台が多く、品川氏の300石に至る。いずれも世襲で、原則として他の役職につくことは許されなかった。このうち、若年や老年などの理由で非役の家を表高家と称し区別している。高家肝煎(きもいり)は2、3名が選任され、京都名代を勤めたもので、役料800俵が支給された。成立は享保(きょうほう)期(1716~36)ごろと考えられる。

[佐々悦久]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「高家」の解説

高家
こうけ

格式の高い名家,あるいは権勢のある家の意。江戸時代には,幕府に仕えて儀式・典礼をつかさどることを世職とした家,および職名。朝廷への使者,勅使・院使の接待,およびその際の饗応にあたる大名の指導,伊勢神宮・日光東照宮などへの代参,年賀賜盃時の大名への給仕などを担当した。1603年(慶長8)徳川家康の将軍宣下の際に,儀礼をつかさどった大沢基宿(もといえ)が起源とされる。その後,吉良・今川・品川・上杉・戸田・畠山・織田など,室町時代以来の名家が取り立てられてしだいに増加し,26家におよんだ。1723年(享保8)制定の役高は1500石。万石以下だったが官位は高く,四位・五位の侍従,または少将にまで昇ることができた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「高家」の解説

高家
こうけ

江戸幕府の職名
幕府の儀式・典礼,朝廷に対する儀式・使者・接待などにあたり,伊勢・日光の代参などをつとめた。高家とは,元来家柄のよい家のことで,1万石以下であるが,官位は大名に準じた。吉良・今川・織田氏など室町時代以来の名門の子孫で,一時は26家にも及んだ。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高家」の意味・わかりやすい解説

高家
こうけ

江戸幕府の職名。幕府の儀式典礼を司り,勅使や公家の接待,京都への使い,伊勢,日光などへの代参をつとめた。老中の支配に属し,役高 1500石,官位は大名に準じた。足利氏以来の名家が世襲し,宮原,武田,畠山,戸田,有馬,吉良など 26家があった。

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