室町幕府の出羽国統治機関であり,1356年(正平11・延文1)斯波兼頼が任命されて以後,その子孫最上氏が代々就任した,と伝えられる。江戸期作成の故実書《武家名目抄》以来の通説であるが,正式の職制と明記する同時代史料に乏しい。奥州探題大崎氏側の《余目(あまるめ)氏記録》(1514)や徳川家康の家臣曾我尚祐の故実書《座右抄》などは,羽州探題の存在を否定さえする。しかし,《羽黒山年代記》宝徳2年(1450)条の〈最上探題〉の記事を除いても,1377年(天授3・永和3)の出羽国棟別銭賦課や,1449年(宝徳1)出羽国での使節遵行,60年(長禄4)出羽国の国内国人に対する軍事指揮権など,いずれも,陸奥国にのぞむ奥州探題大崎氏と並んで,最上氏とみられる人物が出羽国の担当官に指名されており,通説の妥当性を支える。1589年(天正17)最上義光が〈出羽之探題職〉を称したのも,この歴史的背景があったからであろう。
執筆者:遠藤 巌
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室町幕府の出羽(でわ)国統治機関。地方行政府の一つ。1356年(正平11・延文1)斯波兼頼(しばかねより)を出羽国山形に入部させたのが始まりと伝えられる。史料的に明証乏しく、実態は未詳であり、16世紀初頭期に奥州探題側の秩序を記したという『余目氏(あまるめし)旧記』や近世初頭期の故実書『座右抄』などは、羽州探題不存在さえ説くが、南北朝後期に設置の羽州管領(かんれい)が室町前期に羽州探題と改称され、兼頼の子孫が山形氏や最上(もがみ)氏を名のって、出羽国の国人を指揮し、棟別銭(むねべつせん)賦課や使節遵行(じゅんぎょう)を担当した痕跡(こんせき)がある。のちに最上義光(よしあき)が出羽探題を称したのも、この伝統があったからであろう。
[遠藤 巌]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
室町幕府が出羽統治のためにおいた職。その実態を確証する史料は乏しいが,幕府の出羽国内に関する指令が,奥州管領斯波(しば)家兼の子兼頼を通じて行われていることから,兼頼が羽州探題(管領)の職にあったと推定される。兼頼は1356年(延文元・正平11)8月に最上郡山形に移住し,子孫の最上氏は探題職を世襲して戦国大名になったと伝える。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…室町幕府では幕府や関東府の管領・執事が探題と呼ばれた例はなく,それ以外の広い地域の管領権を有する職についてのみ探題と呼ばれた。九州を管領する九州探題,陸奥・出羽2国を管領する奥州探題とそれから分化して出羽1国を管領する羽州探題等である。このほか南北朝期の中国管領(中国探題)細川頼之や戦国期の羽柴秀吉の中国探題などの例もある。…
…だが観応の擾乱(じようらん)以後の政変により奥州管領は分裂し,56年(正平11∥延文1)出羽一国を管轄対象とする羽州管領も成立したと伝えられる。初代管領は斯波兼頼で,やがて職制は羽州探題に切り換えられた。しかし羽州管領と羽州探題の存在を否定する説もある。…
※「羽州探題」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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