木ノ芽峠(読み)キノメトウゲ

デジタル大辞泉 「木ノ芽峠」の意味・読み・例文・類語

きのめ‐とうげ〔‐たうげ〕【木ノ芽峠】

福井県敦賀市南越前町の境にある峠。標高628メートル。古来近畿北陸を結ぶ交通要地

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精選版 日本国語大辞典 「木ノ芽峠」の意味・読み・例文・類語

きのめ‐とうげ‥たうげ【木ノ芽峠】

  1. 福井県敦賀市の北東端、南条郡南越前町との境にある峠。古来、北陸路の要地。標高六二八メートル。木ノ芽山。木目峠。木目山。

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日本歴史地名大系 「木ノ芽峠」の解説

木ノ芽峠
きのめとうげ

北陸街道(西近江路)二ツ屋ふたつやより新保しんぼ(現敦賀市)越える鞍部にあり、標高約六二八メートル。木目峠・木辺峠とも記される。

類聚国史(八三正税)天長七年(八三〇)二月の条に記される「鹿□保嶮道」は木ノ芽峠越のことで、このとき開かれたといわれる。古代の北陸道は、古く木ノ芽峠北方の山中やまなか峠を通ったが、木ノ芽峠が開かれてからは、険路ではあっても距離的に近い木ノ芽峠越の利用度が高くなったと思われる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「木ノ芽峠」の意味・わかりやすい解説

木ノ芽峠
きのめとうげ

福井敦賀市(つるがし)と南条郡南越前町(みなみえちぜんちょう)の境にある峠。標高628メートル。古代から近畿より北陸へ入る関門で、現在は北陸トンネル直下を通る。『日本紀略』830年(天長7)に鹿蒜(かひる)山に開かれた嶮道(けんどう)がこの峠という。古代の北陸道は松原駅(敦賀)から敦賀湾東岸に渡り山越えしたが、鹿蒜駅の位置が不明で、この峠を越えたかどうかわからない。南越前町の新道(しんどう)地区からこの峠にかけての山地を現在は帰山(かえるやま)というが、一説には敦賀市五幡(いつはた)の背後ともいう。中世からは新保(しんぼ)(敦賀市)を通る陸路がとられ、この峠は源平両軍、道元、新田義貞(にったよしさだ)、蓮如(れんにょ)らが越え、織田信長と朝倉勢・一向一揆(いっこういっき)の戦場となった。峠には石畳道と豊臣(とよとみ)秀吉が与えた釜(かま)をもつ茶屋が残り、北にやや下ると言奈(いうな)地蔵がある。なお、福井県は、この峠のある山地で嶺南(れいなん)、嶺北(れいほく)の二大生活圏に分かれる。JR北陸本線南今庄駅下車、徒歩2時間。

[島田正彦]

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改訂新版 世界大百科事典 「木ノ芽峠」の意味・わかりやすい解説

木ノ芽峠 (きのめとうげ)

福井県南部,敦賀市と南越前町の旧今庄町との境にあり,県を嶺南と嶺北に二分する峠。標高628m。古来近畿から北陸へ入る陸路の関門で,《日本紀略》に830年(天長7)越前国百姓上毛野陸奥公が開くというが,嶮道のため古代北陸道がここを越えたかは不明である。中世には源平両軍,道元,新田義貞,蓮如らが越え,信長と朝倉勢,一向一揆の戦場となった。明治以降,国道8号線が敦賀湾沿いを通り廃道に近いが,石畳と秀吉拝領の釜をもつ茶屋が残り,北側に言奈(いうな)地蔵がある。1962年北陸本線北陸トンネルが直下に開通した。
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百科事典マイペディア 「木ノ芽峠」の意味・わかりやすい解説

木ノ芽峠【きのめとうげ】

福井県敦賀(つるが)市北東約10km,鉢伏山中にある峠。標高628m。830年に開かれたとされ,大和文化が越(こし)の国へはいる道筋であった。江戸時代には番所と茶屋が置かれていた。ここを境に福井県は嶺北(敦賀を除く越前)と嶺南(敦賀と若狭)の人文的に異なる2地区に分かれる。1888年海岸回りの道が通じ衰微。峠の南に北陸トンネルが通じる。
→関連項目今庄[町]福井[県]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木ノ芽峠」の意味・わかりやすい解説

木ノ芽峠
きノめとうげ

福井県中央部,敦賀市南越前町との境にある峠。標高 628m。北陸的な嶺北と京都的な嶺南とに県を二分する木ノ芽山地を越える。天長7 (830) 年に開かれた北陸道の主要な峠であったが,1885年海岸沿いに新しく北陸街道 (現国道8号線) が開かれて以来すたれた。峠道はハイキングコースとなり,真下を JR北陸本線の北陸トンネルが通る。

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