本土寺(読み)ホンドジ

デジタル大辞泉 「本土寺」の意味・読み・例文・類語

ほんど‐じ【本土寺】

千葉県松戸市にある日蓮宗本山山号は、長谷山。建治3年(1277)日蓮の信奉者曽谷教信が開いた法華堂に始まる。開山日朗江戸時代には不受不施派拠点となった。

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精選版 日本国語大辞典 「本土寺」の意味・読み・例文・類語

ほんど‐じ【本土寺】

千葉県松戸市平賀にある日蓮宗の寺。同宗由緒寺院(本山)。山号は長谷山(ちょうこくざん)。建治三年(一二七七創建の法華堂に始まる。開山は日朗。日像誕生の地で、寺内産湯の井の水は母乳を豊かにするといわれる。あじさい寺として知られる。

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日本歴史地名大系 「本土寺」の解説

本土寺
ほんどじ

[現在地名]松戸市平賀

長谷山と号し、日蓮宗。同宗関東六ヵ寺の一で、三本三長の本山の一とされていた。本尊は大曼荼羅。文政三年(一八二〇)の平賀本土寺史要(寺蔵)によると、文永六年(一二六九)法華経帰依した小目代蔭山土佐守が小金こがねの「狩野之松原」に一宇建立、日蓮の六高弟の一、日朗を請じて供養したのが始まりと伝える。その後この草堂が風雨で傷んだため、建治三年(一二七七)千葉一族の曾谷胤直(教信)が「平賀郷鼻和」の地に法華堂を開き、日蓮は日朗に供養の導師を命じて本土寺の寺号を与えたという。このため当寺では日蓮を開祖とし、日朗を二世、日伝を三世とするが、当寺の継図次第などから三世とされる日伝による開山で、延慶二年(一三〇九)の建立とする説などもあり、草創については不明の点も多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本土寺」の意味・わかりやすい解説

本土寺
ほんどじ

千葉県松戸市平賀(ひらが)にある日蓮(にちれん)宗の本山。長谷(ちょうこく)山と号する。東京都大田区池上の長栄山本門寺、鎌倉市大町の長興山妙本寺とともに「朗門の三長三本(さんちょうさんぼん)」と称されている。1277年(建治3)日蓮の信者曽谷教信(そやきょうしん)は鼻和(はなわ)地蔵堂を改めて法華堂(ほっけどう)とし、日朗を開山に迎えたが、日朗は弟子日伝を派遣した。1309年(延慶2)千葉貞胤(さだたね)の夫人芝崎(教信の娘)から平賀の六郷を寄付されて繁栄、江戸初期は不受不施(ふじゅふせ)を唱えて身延(みのぶ)と対立した。ここは日朗門下九鳳(くほう)の一人である日像誕生の地で、境内に母の妙朗尼の墓、日像誕生井、日像師堂がある。数々の寺宝は8月16日の虫干会(むしぼしえ)に参観が許される。6月は境内いっぱいに植え込まれたアジサイがみごとで、俗に「あじさい寺」とよばれる。

[浅井円道]

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世界大百科事典(旧版)内の本土寺の言及

【日朗】より

…とりわけ日像(にちぞう),日伝(典)をはじめとする9人の優れた弟子があり,これを朗門の九鳳,九老僧とも呼んだ。日像は京都に弘通(ぐづう)して,京都日蓮宗の基礎を築き,日伝は下総平賀に本土寺をはじめた。日朗の系統を日朗門流,比企谷門流,のちに池上門流とも呼び,妙本寺,本門寺,本土寺の3寺はその拠点となっている。…

※「本土寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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