本庶佑(読み)ホンジョタスク

デジタル大辞泉 「本庶佑」の意味・読み・例文・類語

ほんじょ‐たすく【本庶佑】

[1942~ ]医学者。京都の生まれ。専門は分子免疫学。免疫系が多様な抗原を認識し効率的に排除するために重要な、抗体クラススイッチ体細胞高頻度突然変異の仕組みを解明。これらに関与する酵素AIDを発見。また、T細胞の表面に発現するPD-1というたんぱく質免疫反応を抑制していることを明らかにし、これを阻害することでがんに対する免疫力を高める免疫療法を開発した。平成24年(2012)ロベルト・コッホ賞。平成25年(2013)文化勲章。平成30年(2018)ジェームズ=アリソンとともにノーベル生理学・医学賞を受賞。→ニボルマブ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本庶佑」の意味・わかりやすい解説

本庶佑
ほんじょたすく
(1942― )

日本の生化学者、免疫学者。京都市出身。1966年(昭和41)京都大学医学部卒業、1971年同大学大学院医学研究科修了。アメリカに渡り、1971年にカーネギー研究所発生学部門の客員研究員、1973年からはアメリカ国立衛生研究所(NIH)の客員研究員として、DNAを扱う分子生物学の研究生活を本格化させた。1974年東京大学医学部助手、1975年母校の京都大学から医学博士号を取得。1979年に大阪大学医学部教授に就任し、1982年には京都大学医学部教授を兼務、1984年から京都大学教授専任となった。遺伝子実験施設施設長を経て、1996年(平成8)~2000年(平成12)と、2002~2004年に京都大学大学院医学研究科研究科長、医学部長を務めた。2005年に日本学士院会員、京都大学名誉教授。その後も京都大学大学院医学研究科の客員教授として研究活動を続けるかたわら、2006年、日本の科学技術政策の司令塔である内閣府総合科学技術会議(現、総合科学技術・イノベーション会議)議員を務める。2012~2017年静岡県公立大学法人理事長、2015年からは公益財団法人先端医療振興財団の理事長を歴任。

 本庶は、医学部を卒業したものの医師にはならず、創薬などにつながる基礎医学研究の道を選んだ。なかでも、外敵、がんなどから生体を防御する免疫の複雑な機構を分子生物学的に明らかにすることに長年、取り組んだ。その代表的な業績の一つが「抗体のクラススイッチ組換え機構の解明」である。

 骨髄由来の「Bリンパ球(B細胞)」は、生体防衛の主役の一つである抗体(免疫グロブリン:Ig)を産生する。Y字形の抗体には、抗原を認識する可変部(variable region=V領域)と、抗原結合後の体内での処理方法を示す定常部(constant region=C領域)があり、ウイルス、細菌などさまざまな抗原に接すると抗体の可変部はそれにくっつきやすくなるよう大きく変異する(体細胞超突然変異=SHM)。一方で、免疫グロブリンにはさまざまなタイプ(クラス)が存在する。Bリンパ球は、最初にIgMというクラスの抗体をつくり、そのあとで侵入してくる抗原の種類や場所に応じて、可変部を変えずに、IgAやIgEなどの異なる定常部をもったクラスの抗体に変換する「クラススイッチ現象」が起こることがわかっていた。なぜ、こうした現象が起こるのか謎(なぞ)であったが、1978年に本庶は、抗体の遺伝子の一部が欠損して、異なったクラスの抗体ができるというモデルを提唱し、それを実証した。1999年には、このクラススイッチを誘導する酵素を発見し、「AID(Activation Induced Cytidine Deaminase:活性化誘導シチジンデアミナーゼ、脱アミノ化酵素)」と名づけた。分子生物学が進展した1970年代、こうした無数の抗原に対応して抗体が多様に変化する現象は世界的に注目され、多くのグループがしのぎを削るなか、このメカニズムの解明について利根川進(とねがわすすむ)らと熾烈(しれつ)な競争を繰り広げた(結局、1976年利根川が抗体の再構成のメカニズムを発見、その功績により1987年ノーベル医学生理学賞を受賞)。

 もう一つの大きな業績は「免疫抑制を阻害する分子機構の解明」で、これによって新たながん治療法に道を開いた。1980年代ころから免疫細胞の司令塔であるTリンパ球(T細胞)が自己を攻撃したときに、それを停止させるために、プログラムされた細胞死「アポトーシス」がなぜ起こるのか、その解明に世界中の研究者がしのぎを削っていた。その過程で、1992年、本庶と研究室の大学院生であった石田靖雅(やすまさ)(現、奈良先端科学技術大学院大学准教授)らはTリンパ球の細胞死誘導時に増加する遺伝子を発見。「programmed cell death(プログラムされた細胞死)」を起こす遺伝子という意味でPD-1(Programmed cell death 1)と名づけられたが、当初、PD-1の働きはわからなかった。

 PD-1発見からまもなく、当時、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校にいた免疫学者のジェームズアリソンらの研究チームは、がんを認識するTリンパ球表面にあるタンパク質「CTLA-4」(細胞傷害性Tリンパ球抗原4)を発見し、Tリンパ球の働きを抑えるブレーキ役であることを突き止めた。アリソンらは、がん治療に応用できると考え、1994年、CTLA-4に対する抗体(抗CTLA-4抗体)を、がんを移植したマウスに投与すると、がん細胞が消失することを確認した。

 本庶らは、PD-1の構造は、CTLA-4に似ていることから、独自の手法でPD-1が免疫反応のブレーキ役であることをつかんだ。しかし、作用機序はCTLA-4と異なっていた。本庶らは、PD-1と結合しPD-1を活性化させる分子(タンパク質)があることをつきとめ、「PD-L1」(PD-1 Ligand)と命名した。PD-L1は、全身のさまざまな細胞表面にあるが、がん細胞表面にもあることを発見。PD-L1はがんの増殖を促すが、PD-1がないとがんの進行が鈍ることをマウスの実験で確かめた。本庶らは、PD-1に対する抗体(抗PD-1抗体)を投与することで、がん治療につなげられると考え、人での臨床試験を模索し、国内の製薬企業に治験をもちかけたが、ことごとく断られた。最終的に小野薬品工業がアメリカで治験を開始、2012年に悪性黒色腫(しゅ)(メラノーマ)で有望な成果が得られた。2014年に抗PD-1抗体は「ニボルマブ」(商品名オプジーボ)として世界に先駆けて日本で発売された。その後も非小細胞肺がん、腎(じん)細胞がんなどに適用が拡大され、現在は胃がん治療などでも保険適用されている。

 オプジーボは、免疫反応の監視役のPD-1を阻害することから「免疫チェックポイント阻害薬」とよばれる。アリソンらの成果をもとに2011年に世界で最初にアメリカで承認された抗CTLA-4抗体の医薬品「イピリムマブ」(商品名ヤーボイYERVOY)も同じ免疫チェックポイント阻害薬である。オプジーボのほうがヤーボイより治療成績がよいことが証明されているが、両者の併用がより効果的との報告もある。

 免疫チェックポイント阻害薬による新たな「免疫療法」は、外科手術、抗がん剤(化学療法)、放射線治療に次ぐがん治療の第四の柱として位置づけられている。

 しかし、オプジーボの効果があるのはがん患者の3割程度と少ない。進行がんが劇的に縮小する一方、まったく効かない人もいて、間質性肺炎などの重篤な副作用もある。また、薬代が高価なことから、事前に効果を予測できないか研究が進められている。

 1981年に野口英世記念医学賞、1985年ベルツ賞、1992年ベーリング北里賞、1996年恩賜賞、日本学士院賞、2012年ロベルト・コッホ賞、2013年文化勲章、2016年京都賞、慶応医学賞などを受賞。2018年には「免疫抑制の阻害によるがん治療法の発見」で、ジェームズ・アリソンとノーベル医学生理学賞を共同受賞した。

[玉村 治 2019年3月20日]

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知恵蔵 「本庶佑」の解説

本庶佑

日本の医学者。医学博士(京都大学、1975年)、京都大学名誉教授、京都大学大学院医学研究科連携大学院講座客員教授(免疫ゲノム医学講座)、先端医療振興財団理事長。
42年1月27日、京都府生まれ。小学校から高校までを山口県宇部市で過ごす。60年、京大医学部に入学。同期生に中西重忠(京大名誉教授、大阪バイオサイエンス研究所所長)らがいる。
医学部2年生の時、柴谷篤弘の『生物学の革命』(みすず書房)に出会い、DNAの塩基配列の異常から病気の原因を知り、分子外科手術で遺伝子を治療できる日が来ると書かれてあるのを読んで感銘を受ける。その夏、早石修(現・京都大学名誉教授)の医化学教室に出入りするようになる。学生時代は、学部対抗のボートレースに参加したほか、朝までマージャンをすることもあった。
66年京都大学医学部卒業。大学院進学後の最初の研究は、ジフテリア毒素の作用機構の解明であった。この時期に、現在の研究スタイルがある程度確立し、研究のだいご味にも気付いたという。
70年、大学紛争により京都大学医学部では建物が封鎖され、この間に大学院生のまとめ役となって研究の再開に向けて活動し、アメリカ留学を考えるようになる。当時、急速に進展し始めたDNAを対象にした分子生物学を、治療への応用も意識して哺乳類(ほにゅうるい)で研究したいと、71年、脊椎動物のリボソーム遺伝子を研究しているドナルド・ブラウン博士のいるカーネギー研究所に留学する。73年まで、同研究所発生学部門客員研究員。
米国留学中、50年代に提唱されたクローン選択説に端を発する免疫の多様性に関する議論に出会い、日本でこの分野の研究をすることを決意し、74年に帰国して、東京大学医学部助手となる。抗体遺伝子の欠失を発見したことから、後に主要な業績の一つとなる、免疫系のクラススイッチ現象の遺伝学的な原理仮説を提唱する。クラススイッチモデルは78年にPNAS(米国学士院紀要)に発表、その後、学術誌Nature(ネイチャー)のNews&Viewsで取り上げられ、国際的に高く評価された。79年、大阪大学医学部教授、84年、京都大学医学部教授に着任する。92年、後にノーベル医学生理学賞受賞につながるPD-1と出会い、免疫のブレーキ役を担うことを見出す。2000年、免疫の多様性に関わるクラススイッチと体細胞突然変異という二つの現象が、一つの遺伝子Activation-induced cytidine deaminase(AID)によって担われることを発見。02年、PD-1を阻害することでがん治療が可能であることを、モデル動物を使って発見し、がん治療のペニシリンとも称される新しい画期的治療法として創薬につながった。
05年3月、京都大学医学部での最終講義「ゲノムの壁-混沌・仮説・挑戦-」を行う。
野口英世記念医学賞(1981年)、恩賜賞・日本学士院賞(96年)、文化勲章(2013年)など多数の受賞・顕彰がある。16年、「抗体の機能性獲得機構の解明ならびに免疫細胞制御分子の発見と医療への展開」により、基礎生命科学と人類への福祉の両面から高く評価されて第32回京都賞を受賞。18年、PD-1の発見と応用により、米テキサス大MDアンダーソンがんセンターのジェームズ・アリソン博士と共にノーベル医学生理学賞を受賞した。
日本学士院、米国科学アカデミー、米国免疫学会名誉会員、レオポルディーナ(ドイツ国立科学アカデミー)会員。

(葛西奈津子 フリーランスライター/2018年)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本庶佑」の意味・わかりやすい解説

本庶佑
ほんじょたすく

[生]1942.1.27. 京都,京都
免疫学者。1966年京都大学医学部卒業。1971~73年アメリカ合衆国のカーネギー研究所,1973~74年アメリカ国立衛生研究所の国立小児保健発達研究所で客員研究員として免疫反応に関する研究を行なう。1974年東京大学医学部助手。1975年京都大学で医学博士号を取得。1979年大阪大学医学部教授となり,免疫グロブリンのクラススイッチ組み換えと呼ばれる,多様な抗体が発生するメカニズムの一部を解明した。1984年京都大学医学部教授,2006年同大学客員教授,2017年同大学高等研究院特別教授。京都大学移籍後の研究では,免疫細胞の一種 T細胞の表面に PD-1と呼ばれる蛋白質を発見。PD-1が自己免疫疾患に重要な役割を果たすことを見出した。2000年代初めには,のモデル動物を使った研究で,PD-1の働きを阻害すると,T細胞が癌細胞を攻撃する能力を回復することを明らかにした。この研究がのちに,ニボルマブ(商品名オプジーボ)やペンブロリズマブといった癌治療薬を用いる抗PD-1癌免疫療法の開発へと発展していった。2018年,免疫抑制機構の阻害による新しい癌治療法を切り開いたとして,アメリカの免疫学者ジェームズ・アリソンとともにノーベル生理学・医学賞を受賞。1996年日本学士院賞,2012年ロベルト・コッホ賞,2016年京都賞など国内外の受賞多数。2013年文化勲章受章。

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知恵蔵mini 「本庶佑」の解説

本庶佑

医師、京都大学の特別教授。1942年1月27日、京都府京都市生まれ。66年に京都大学医学部を卒業した後、東京大学助手などを経て大阪大学や京都大学などの教授を務めたほか、日本学術振興会学術システム研究センター所長を併任した。2005年より京都大学大学院で免疫ゲノム医学講座の特任教授を務めた。1981年に野口英世記念医学賞、2000年に文化功労者、12年に国際的医学賞のロベルト・コッホ賞、13年に文化勲章など、研究成果に対して数々の賞が授与されてきた。18年、がん免疫療法の発展に貢献したとしてノーベル医学生理学賞を受賞した。免疫の中心的な役割を果たす「PD-1」というタンパク質を発見したことが、新しいがん治療薬の研究開発につながったとされる。

(2018-10-4)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本庶佑」の解説

本庶佑 ほんじょ-たすく

1942- 昭和後期-平成時代の分子生物学者。
昭和17年1月27日生まれ。昭和54年阪大教授,57年京大教授。東大助手時代の昭和53年,抗体遺伝子が外敵に応じ法則的に変化する「クラススイッチモデル」を発表,のちネズミの細胞をもちいてクラススイッチを制御するタンパク質AIDの単離に世界ではじめて成功した。平成8年学士院恩賜賞。12年文化功労者。13年米国科学アカデミー外国人会員。17年学士院会員。25年文化勲章。京都府出身。京大卒。著作に「遺伝子が語る生命像」など。

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