札幌バンド(読み)サッポロバンド

デジタル大辞泉 「札幌バンド」の意味・読み・例文・類語

さっぽろ‐バンド【札幌バンド】

明治初期にクラーク感化を受けてキリスト教に入信した札幌農学校学生グループ新渡戸稲造内村鑑三宮部金吾ら18名が明治9年(1876)に結成横浜バンド熊本バンドと並んで日本プロテスタントの三大源流の一つとされる。

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改訂新版 世界大百科事典 「札幌バンド」の意味・わかりやすい解説

札幌バンド (さっぽろバンド)

1876年に発足した札幌農学校に学び,その教頭W.S.クラークが残したキリスト教の遺産と科学的精神を自覚的にうけとり,学生時代に結成した札幌教会にみる自由・独立の精神を共有していった第1期,第2期の人たち。彼らの中から北海道開拓のみならず,日本の宗教界,教育界に活躍した人たちが現れた。伊藤一隆佐藤昌介,内田瀞,大島正健,新渡戸稲造,宮部金吾,内村鑑三,広井勇らである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「札幌バンド」の意味・わかりやすい解説

札幌バンド
さっぽろばんど

1876年(明治9)、北海道開拓使長官黒田清隆(きよたか)の招きで来日したアメリカ人農学者・教育家クラークの指導下に入信した札幌農学校のプロテスタント学生グループ。彼らはクラークの離日に際して「耶蘇(やそ)を信ずる者の誓約」(1877)に署名して生涯信仰を誓い、これに対してクラークが「青年よ、大望を抱け!」と激励したことは有名。農学校1期生に佐藤昌介(しょうすけ)、大島正健(まさたけ)ら15人、2期生に内村鑑三(かんぞう)、新渡戸稲造(にとべいなぞう)、宮部金吾、広井勇ら18人を数える。このなかからはキリスト教界、学界政界を指導する有為の人物が輩出した。

[金井新二]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「札幌バンド」の意味・わかりやすい解説

札幌バンド
さっぽろバンド

W.S.クラークや M.C.ハリスの影響を受けて入信した札幌農学校の学生たちをいう。クラークは農学校で学問を教える一方で,聖書を全学生に配布してキリスト教を教えた。 1876年帰国するにあたり「イエスを信ずる者の誓約」をつくり署名を求め,これに 33名の学生が応じた。クラークの帰国後,ハリスの指導を受け,77年には佐藤昌介,大島正健ら,78年には内村鑑三新渡戸稲造らが受洗した。このなかから教会,学界の指導的人物が多く出た。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「札幌バンド」の解説

札幌バンド
さっぽろバンド

1877年(明治10)札幌農学校教頭クラークの感化により,「イエスを信ずる者の契約」に署名した札幌農学校第1・2期生らのキリスト者集団。彼らの半数は78年メソジスト教会宣教師M.C.ハリスから受洗,81年教派と関係をもたない札幌基督教会を設立(のち札幌独立教会と改称),1期生の大島正健(まさたけ)が牧師となった。彼らの大部分は平信徒として各方面で活躍した。

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