杉山杉風(読み)すぎやまさんぷう

精選版 日本国語大辞典 「杉山杉風」の意味・読み・例文・類語

すぎやま‐さんぷう【杉山杉風】

江戸前期の俳人通称市兵衛屋号、鯉屋。蕉門十哲一人。江戸の人。延宝年間(一六七三‐八一)のはじめごろ蕉門に入り、以来後援者としても芭蕉のために尽くす。句集に「杉風句集」がある。正保四~享保一七年(一六四七‐一七三二

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デジタル大辞泉 「杉山杉風」の意味・読み・例文・類語

すぎやま‐さんぷう【杉山杉風】

[1647~1732]江戸中期の俳人。蕉門十哲の一人。江戸の人。通称、鯉屋市兵衛。別号採荼庵さいたあん蓑翁すいおう深川芭蕉庵提供など、芭蕉を経済的に援助した。著「常盤屋句合ときわやのくあわせ」「杉風句集」など。

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朝日日本歴史人物事典 「杉山杉風」の解説

杉山杉風

没年:享保17.6.13(1732.8.3)
生年:正保4(1647)
江戸時代の俳人。通称,藤左衛門または市兵衛。別号に採荼庵,荼舎,蓑翁,蓑杖など。隠居して一元と号した。江戸日本橋本小田原町に住んで,幕府魚類を納める納屋を営む。屋号を鯉屋といった。俳諧は,父仙風と共に松尾芭蕉門。東下後の芭蕉に親しみ,延宝期には江戸蕉門の中心人物となる。『桃青門弟独吟二十歌仙』(1680)の巻頭をつとめ,その実績をもとに『常盤屋句合』を刊行。貞享期(1684~88)になると,榎本其角,服部嵐雪の活動がはなやかになり,杉風の影はうすくなるが,詩的才能の限界とともに,家業多忙が災いしたか。元禄6,7(1693,94)年になると,芭蕉の「軽み」によく従い,『別座鋪』の編集に関与。晩年には『冬かつら』『木曾の谷』の刊行もあったが,かつてほどの精彩はなかった。芭蕉のパトロン的存在であり,その真摯な性格により信頼を得た。没後,家蔵の芭蕉真蹟は鯉屋ものとしてよく知られている。

(楠元六男)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杉山杉風」の解説

杉山杉風 すぎやま-さんぷう

1647-1732 江戸時代前期-中期の俳人。
正保(しょうほ)4年3月生まれ。松尾芭蕉(ばしょう)の門人。家業は幕府御用の魚問屋で,深川の別荘を芭蕉庵に提供。芭蕉に「東三十三国の俳諧(はいかい)奉行」といわれた。享保(きょうほう)17年6月13日死去。86歳。名は元雅。通称は鯉屋藤左衛門,市兵衛。別号に採荼(さいだ)庵,蓑翁(さおう)など。編著に「常盤屋句合(ときわやのくあわせ)」「冬かつら」など。
【格言など】がつくりと抜け初むる歯や秋の風(「猿蓑(さるみの)」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「杉山杉風」の意味・わかりやすい解説

杉山杉風
すぎやまさんぷう

[生]正保4(1647).江戸
[没]享保17(1732).6.13. 江戸
江戸時代中期の俳人。蕉門十哲の一人。通称,藤左衛門または市兵衛。別号,採荼庵,荼舎,蓑翁,蓑杖,五雲亭,一元。幕府に魚類を納める,いわゆるお納屋 (なや) を営み,屋号は鯉屋。芭蕉の最も古い門人で,芭蕉の援助者でもあった。深川六間堀の芭蕉庵は杉風が提供したもの。俳諧のほか,禅,茶,画をよくした。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「杉山杉風」の意味・わかりやすい解説

杉山杉風
すぎやまさんぷう

杉風

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