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李鵬 りほうLi Peng

翻訳|Li Peng

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

李鵬
りほう
Li Peng

[生]1928.10. 四川,成都
中国の政治家。3歳のとき革命家の父が中国国民党に殺害されたため,中国共産党の指示で周恩来の義理の息子になった。 1945年中国共産党に入党。 1948年よりソ連留学し,中国ソ連留学生総会の首席を務めた。帰国後中国東北部の発電所の技術者や工場長を経て,北京電力管理局責任者,電力工業部副部長,同部長などを歴任。 1982年党中央委員に初当選。 1983年国務院副総理に就任,エネルギー,交通,原材料などの経済部門を主管し,1985年より国家教育委員会主任も兼任した。同年党中央委員会政治局員と中央書記局書記に,1987年には政治局常務委員 (2002退任) に選ばれた。 1987年国務院総理 (首相) 代行,1988年趙紫陽の後任として総理に正式に就任 (1998退任) し,国家体制改革委員会主任を兼任。 1998~2003年全国人民代表大会 (全人代) 常務委員長。保守的政治姿勢のため,1989年の民主化運動の際,学生から辞任要求が出されたり,運動を弾圧するため戒厳令をしくなどしたことから,西側からの反発も強かった。

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百科事典マイペディアの解説

李鵬【りほう】

中国の政治家。四川省生れ。少年時代,周恩来夫妻の養子として育てられた。1945年入党,1948年―1955年党から選ばれてソ連に留学。中央政界入りは文化大革命後で,1982年党中央委員,1983年副首相。
→関連項目天安門事件【とう】穎超

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

李鵬
りほう / リーポン
(1928― )

中国の政治家。四川(しせん)省出身。父は初期の共産党員で、1927年の南昌蜂起(なんしょうほうき)に参加、のち1931年に海南島で国民党に捕らえられて刑死した李碩勲。母も初期の党員。1939年、周恩来夫妻に烈士の子として引き取られ、張家口工業専門学校などで学び、1945年入党。1948年モスクワ動力大学に留学、1955年帰国して吉林(きつりん)省豊満発電所技師長となり、1966年以降北京(ペキン)給電局長などを歴任、1979年電力工業部副部長、1981年部長となって中央政界に入る。1982年党中央委員、1985年政治局員、書記処書記、また国家教育委員会主任を兼任、1987年中央政治局常務委員に任じ、最高指導者の一人となった(~2002)。そのあと国務院総理(首相)代行に就任、1988年4月中華人民共和国第4代目の国務院総理に任命された(~1998)。代表的なテクノクラート幹部といわれた。1989年(平成1)来日。長く総理の職にあって、1998年第二次天安門事件の処理にあたったが、同年、全国人民代表大会常務委員会委員長に就いた(~2003)。[安藤彦太郎]

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