室町時代,伊勢国桑名の刀工。生没年不詳。同名が少なくとも3代は続いたとみられ,作刀にみる年紀では文亀元年(1501)が最も古い。俗説に正宗の弟子と伝えるが,これは誤りである。村正の作刀は切れ味のよいことで名高く,作風は〈のた(湾)れ〉に互の目(ぐのめ),箱がかった乱(みだれ)を交えた刃文を得意とし,とくに表裏の刃が揃うところに見どころがある。村正に関する伝説として妖刀説や徳川家にたたるという説があるが,これは徳川家康の祖父清康が阿部弥七郎正豊に殺されたときの刀が村正であり,父広忠が岩松八弥に斬りつけられたのも,また嫡子信康が自害の際,介錯(かいしやく)された刀も村正で,家康みずからも村正の短刀で怪我をしたということなどが重なりあって生じたものである。そのため,村正は徳川家にとって不吉であるとされ,譜代の大名や家臣は差料とすることを慎んだという。
→日本刀
執筆者:原田 一敏
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生没年未詳。室町後期の伊勢(いせ)(三重県)の刀工。桑名郡千子(せんご)村に住したところから千子派ともよばれ、利刃をもって名高い。作風は湾(のた)れ刃が箱形に角張って、表裏の刃文(はもん)がそろう特色をもつ。一説に相州(そうしゅう)正宗(まさむね)の弟子ともいわれるが、時代的に一致しない。村正のもっとも古い作は「文亀(ぶんき)元年十月日」(1501)銘のもので、以後同名が3代あるとみられている。徳川家で村正の刀による不祥事が起きたことから幕府の禁忌にあい、村正妖刀(ようとう)説が生まれ、そのため銘を消したり、村の字を消して正の字の下に「宗」を加えて正宗に改竄(かいざん)したものがある。逆に、倒幕の気運の高まった幕末には大いにもてはやされた。弟子ともいわれて三河文殊(みかわもんじゅ)の俗称をもつ正真や、濃州(岐阜県)関(せき)の和泉守(いずみのかみ)兼定(かねさだ)、平安城長吉とは、地域、作風、年代が重なり合うところから、交流があったとみられる。
[小笠原信夫]
(原田一敏)
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…こうした行政村は,唐においては国家の基本法典である律令に規定されていて,それによれば百戸を里(都市では坊といい,むらでは村(そん)と呼ぶ)とし,五里を一郷とする。里・村には里正・村正が置かれ,戸口調査,悪事の検察,農事奨励,租税徴収などを担当させるというものであった。明・清時代に採用された里甲制は110戸を一里とし,そのうち十戸を里長戸,残りを十戸ずつ十甲に分けたもので,本来はその里長・甲首を輪番で租税徴収に当たらせようとするものであった。…
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