村田保(読み)ムラタ タモツ

20世紀日本人名事典 「村田保」の解説

村田 保
ムラタ タモツ

明治・大正期の官僚,政治家 大日本水産会副総裁;大日本塩業協会会長;貴院議員(勅選)。 水産界の功労者。



生年
天保13年12月28日(1843年)

没年
大正14(1925)年1月6日

出身地
肥前国唐津(佐賀県)

別名
号=水産翁

主な受賞名〔年〕
勲一等

経歴
早くから新政府に出仕、司法権大録、太政官兼内務大書記官を歴任。明治4年英国に留学、法律学を学ぶ。23年勅選貴院議員。早くから水産業を志し、15年大日本水産会を創立、副総裁となり、また水産伝習所(東京水産大学の前身)創立(21年)に尽力した。29年には大日本塩業協会を設立、会長を務めた。大正3年山本権兵衛内閣の末期、海軍収賄問題で弾劾演説をぶち、自らも議員を辞職した。著書に「治罪法註釈」「独逸法律書」「英国法家必携」「刑法注釈」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「村田保」の解説

村田 保
ムラタ タモツ


肩書
貴院議員(勅選),大日本水産会副総裁

別名
号=水産翁

生年月日
天保13年(1842年)

出身地
肥前国唐津(佐賀県)

経歴
早くから新政府に出仕、司法権大録、太政官兼内務大書記官を経て、明治23年勅選貴院議員。早くから水産業を志し、大日本水産会を創立、副総裁となり、また水産伝習所創立に尽力した。大正3年山本権兵衛内閣の末期、海軍収賄問題で弾劾演説をぶち、自らも議員を辞職した。著書に「治罪法註釈」「独逸法律書」「英国法家必携」などがある。

受賞
勲一等

没年月日
大正14年1月6日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「村田保」の意味・わかりやすい解説

村田保
むらたたもつ

[生]天保13(1842).12.28. 大坂
[没]1925.1.7. 鎌倉
水産事業家。唐津藩士。明治政府にあって,左院議官,太政官法制官などを歴任し,新律綱領起草旧刑法治罪法審査,修正に従事した。その後も貴族院議員,法典調査会委員として各種の立法事業に参画した。さらに後年は,ドイツに留学中 R.グナイストに日本の漁業について質問されたことに触発され,大日本水産会に関係し,日本の水産事業発展にも貢献した。

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朝日日本歴史人物事典 「村田保」の解説

村田保

没年:大正14.1.7(1925)
生年:天保13.12.29(1843.1.29)
明治時代の官吏。明治初頭,刑法調査のため英国に滞在。明治12(1879)年ドイツの博覧会を見学して水産振興の必要を実感し帰国後,大日本水産会(1882),水産伝習所(1888)の設立,水産講習所設置(1897)に指導的役割を果たした。貴族院議員として漁業法,遠洋漁業奨励法の成立に尽力。水産翁と呼ばれた。同29年には,全国の塩業関係者を集合し大日本塩業協会を設立,会長を務めた。<参考文献>下啓助『明治大正水産回顧録』,山口利雄編「水産」(『現代日本産業発達史』11巻)

(加瀬和俊)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村田保」の解説

村田保 むらた-たもつ

1843*-1925 明治-大正時代の官僚,政治家。
天保(てんぽう)13年12月28日生まれ。肥前唐津(からつ)藩(佐賀県)藩士の長男。太政官,内務省につとめ,明治23年貴族院議員。大正3年のシーメンス事件で,山本内閣弾劾の演説をおこない議員を辞職。水産伝習所(東京水産大の前身)の創設などで水産界に貢献し,水産翁と称された。大正14年1月6日死去。84歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「村田保」の解説

村田 保 (むらた たもつ)

生年月日:1843年12月29日
明治時代;大正時代の官吏;政治家。大日本塩業協会会長;貴族院議員
1925年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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