現、首都大学東京。1949年(昭和24)旧制の都立高等学校、都立工業専門学校、都立化学工業専門学校、都立理工専門学校、都立女子専門学校、都立機械工業専門学校の6校を母体として、東京都により設置された総合大学。2005年(平成17)に都立科学技術大学、都立保健科学大学、都立短期大学と統合、公立大学法人首都大学東京が開学し、それに伴い首都大学東京の運営する大学となった。都立大学は新入生の募集を停止、2011年3月に閉学した。創設当初は、人文学、理学、工学の3学部であったが、1957年人文学部から法経学部を、1966年さらに法経学部を法学部と経済学部にそれぞれ分離し、2005年段階で5学部となっていた。各学部はすべて一部・二部(5年制)が併設されていたが、二部は2005年度から学生募集停止。人文科学、社会科学、理学、工学、都市科学の各研究科(修士・博士課程)からなる大学院があった。特色として、教授数に比して少人数の学生数、また都市関係の研究の重視などがあげられる。植物標本約38万点を所蔵する牧野標本館(1958年設置)や都市研究所(都市研究センターとして1977年設置)を併設していた。現在はいずれも首都大学東京の施設となっている。
[喜多村和之]
東京都八王子市南大沢にある公立大学。第2次大戦後の財政窮乏のなかでも,文化的平和国家の首都には,それにふさわしい総合大学が不可欠であるとして,旧制度の都立高校と工業専門学校など五つの都立専門学校を母体とし,これら高専の校舎を使って1949年に発足した。開かれた大学の理念に立つ昼夜開講制を実施し,57年文部省の指示により2部制を余儀なくされたが,昼夜同等の教育を行う努力がつづいている。当初,人文・理・工の3学部であったが,57年人文から法経学部が独立,さらに66年法と経済の2学部にわかれ,合計5学部となり,修士・博士課程の大学院研究科,牧野(富太郎)記念標本館,小笠原研究委員会が設けられた。77年には都市研究センターが設置され,これを発展させて都市研究所にし,さらに独立大学院として都市科学研究科が開設された。91年,東京都目黒区から現在地に全面移転。2005年4月,都立の科学技術大学,保健科学大学,短期大学を統合し,首都大学東京と改称した。
執筆者:山住 正己
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