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「東山千栄子」の意味・読み・例文・類語
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東山 千栄子
ヒガシヤマ チエコ
- 職業
- 女優
- 本名
- 河野 せん(コウノ セン)
- 旧名・旧姓
- 渡辺
- 生年月日
- 明治23年 9月30日
- 出生地
- 千葉県 千葉市
- 学歴
- 学習院女学部〔明治40年〕卒
- 経歴
- 裁判官で貴院議員を務めた渡辺暢の二女で、10人きょうだいの3番目。明治32年母の弟である法学者・寺尾亨の養女となり、東京で暮らす。40年学習院女学部を卒業、42年商社員・河野通久郎と結婚して夫の任地モスクワへ行き、モスクワ芸術座の「桜の園」などを観て、演劇への目を開かれた。大正6年ロシア革命のため帰国。14年35歳で創立間もない築地小劇場の第2期研究生に合格し、ユージン・オニール「皇帝ジョーンズ」の貴婦人役で初舞台。15年メーテルリンク「タンタジールの死」で初主演。昭和2年「マクベス」のマクベス夫人、チェーホフ「桜の園」でラネーフスカヤ夫人を演じ、注目を集める。特にラネーフスカヤ夫人は初演から38年の俳優座公演まで310回も出演し、彼女自身にとどまらず、日本のラネーフスカヤ夫人を代表する演技となった。昭和5年劇団新東京、19年俳優座の創立に参加、また新築地劇団や文学座にも客演。約半世紀にわたり演劇のほか映画やテレビでも活躍し、26年度芸術選奨文部大臣賞、33年日本新劇俳優協会会長、41年文化功労者に選ばれた。他の舞台の代表作に「フィガロの結婚」の伯爵夫人、「女の平和」のヒロイン、森本薫脚色「陳夫人」など、映画の代表作に小津安二郎の「麦秋」「東京物語」などがある。
- 受賞
- 芸術選奨文部大臣賞(昭26年度)〔昭和27年〕「桜の園」,文化功労者〔昭和41年〕 勲四等宝冠章〔昭和40年〕,勲三等宝冠章〔昭和49年〕 毎日演劇賞(第7回)〔昭和30年〕「女の平和」「かもめ」,NHK放送文化賞〔昭和42年〕,日本芸術実演家団体協議会功労者表彰(第2回)〔昭和51年〕
- 没年月日
- 昭和55年 5月8日 (1980年)
- 家族
- 実父=渡辺 暢(裁判官・貴院議員),養父=寺尾 亨(法学者)
- 親族
- 伯父=寺尾 寿(天文学者)
- 伝記
- 最期の台詞―演劇人に学ぶ死の作法終幕の思想―演劇人の死人と軌跡あの人この人―昭和人物誌千田是也演劇論集〈第4巻(1960〜1962年)〉 安保反対闘争と戦後新劇の再編昔の仲間 北川 登園 著北川 登園 著竹西 寛子 著戸板 康二 著千田 是也 著寺田 テル 著(発行元 STUDIO CELLO白水社中央公論社文芸春秋未来社日本随筆家協会 ’07’93’93’93’87’86発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
東山 千栄子
ヒガシヤマ チエコ
昭和期の女優
- 生年
- 明治23(1890)年9月30日
- 没年
- 昭和55(1980)年5月8日
- 出生地
- 千葉県千葉市
- 本名
- 河野 せん(コウノ セン)
- 旧姓(旧名)
- 渡辺
- 学歴〔年〕
- 学習院女学部〔明治40年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 芸術選奨(昭26年度)「桜の園」,毎日演劇賞(第7回)〔昭和29年〕「女の平和」「かもめ」,文化功労者〔昭和41年〕,芸能功労者表彰〔昭和51年〕
- 経歴
- 明治42年14歳で商社員・河野通久郎と結婚、夫の任地モスクワへ行き、モスクワ芸術座の「桜の園」などを見て、演劇への目を開かれる。大正6年帰国。14年35歳で創立間もない築地小劇場の第2期研究生に合格し、新劇俳優としてスタート。昭和2年「マクベス」「桜の園」のヒロインを演じ注目を浴びる。「桜の園」のラネーフスカヤ夫人は初演から38年の俳優座公演まで310回も出演し、彼女自身にとどまらが、日本のラネーフスカヤ夫人を代表する演技となった。昭和5年劇団新東京、19年俳優座創立に参加、また新築地劇団や文学座にも客演。約半世紀にわたり演劇のほか映画やテレビでも活躍し、26年度芸術選奨受賞、33年日本新劇俳優協会会長、41年文化功労者に選ばれた。他の舞台の代表作に「フィガロの結婚」の伯爵夫人、「女の平和」のヒロイン、森本薫脚色「陳夫人」など、映画の代表作に小津安二郎の「麦秋」「東京物語」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
東山千栄子【ひがしやまちえこ】
新劇女優。本名河野せん。千葉県生れ。学習院女子部卒。モスクワで8年間生活,モスクワ芸術座を見て演劇を志し,1925年築地小劇場に入る。1944年俳優座結成に参加し,その中心女優となった。《桜の園》のラネフスカヤ夫人など,翻訳劇の貴婦人役に品格を示し,小津安二郎監督の《麦秋》《東京物語》など映画にも出演した。
→関連項目東京物語
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東山千栄子 (ひがしやまちえこ)
生没年:1890-1980(明治23-昭和55)
新劇女優。本名河野せん。千葉県生れ。実業家と結婚して8年間モスクワに生活,モスクワ芸術座の舞台にふれて演劇に目を開かれたという。帰国後の1925年(大正14)築地小劇場に参加,容姿をいかしてとくに翻訳劇の貴婦人を当り役とした。小劇場解散後は,劇団築地小劇場などに属し,44年に結成された俳優座では精神的支柱といわれた。《桜の園》のラネーフスカヤ夫人,《女の平和》の女主人公が代表的傑作である。映画出演も多数。66年文化功労者に推された。
執筆者:戸板 康二
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東山千栄子
ひがしやまちえこ
(1890―1980)
女優。本名河野(こうの)せん。旧姓渡辺。千葉県生まれ。学習院女学部卒業(1907)後、貿易商河野通久郎(とおくろう)に嫁し、モスクワに滞在(1909~17)、初めて見たモスクワ芸術座の舞台『桜の園』に感動した。1925年(大正14)34歳で築地(つきじ)小劇場の研究生となり、同年3月の『皇帝ジョーンズ』の貴婦人役が初舞台であった。劇団築地小劇場、劇団新東京を経て、44年(昭和19)俳優座創立同人。生涯の当り役といわれた『桜の園』のラネーフスカヤ夫人は、築地小劇場での初役(1927)以来、63年(昭和38)の俳優座公演まで300回に及んだ。西洋の近代古典劇のほか、日本の老婦人役でも資質を発揮。映画にも早くから出演し、とくに木下恵介、小津安二郎(おづやすじろう)監督作品に気品と貫禄(かんろく)のある演技をみせた。66年、女優として最初の文化功労者に選ばれる。自伝『新劇女優』(1958)がある。
[祖父江昭二]
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東山千栄子
ひがしやまちえこ
[生]1890.9.30. 千葉
[没]1980.5.8. 静岡
女優。本名河野せん。学習院女学部卒業。 1909年貿易商河野通久郎に嫁し,渡欧。モスクワに8年間滞在。 25年2月,35歳で女優を志し築地小劇場の研究生となる。翻訳劇に多く出演,特に『桜の園』のラネーフスカヤ夫人は一生の当り役となり,この役で 52年芸術選奨文部大臣賞を受賞した。 1929年築地小劇場の解散後は,劇団築地小劇場,新東京などを経て,44年2月9人の同人とともに俳優座を創立,映画出演も多い。 66年文化功労者。著書に『新劇俳優』 (1958) がある。
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東山千栄子 ひがしやま-ちえこ
1890-1980 昭和時代の女優。
明治23年9月30日生まれ。大正14年築地小劇場にはいる。昭和19年俳優座の創立に参加。当たり役に「桜の園」のラネーフスカヤ夫人など。「東京物語」など映画にも数おおく出演。33年日本新劇俳優協会会長。41年文化功労者。昭和55年5月8日死去。89歳。千葉県出身。学習院女学部卒。本名は河野せん。旧姓は渡辺。著作に「新劇女優」。
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東山 千栄子 (ひがしやま ちえこ)
生年月日:1890年9月30日
昭和時代の女優。日本新劇俳優協会会長
1980年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の東山千栄子の言及
【東京物語】より
…脚本は監督自身と名コンビの野田高梧,撮影は《戸田家の兄妹》(1941)以来常連の厚田雄春,音楽はこの作品から常連になる斎藤高順。地方から上京した老夫婦(笠智衆,東山千栄子)が血縁の子どもたちの家に快く迎えられず,逆に戦死した息子の嫁(原節子)にもてなされるという題材は,アメリカ映画《明日は来らず》(レオ・マッケリー監督,1937)に想を得たものといわれるが,召集中の小津はその映画を見ておらず,それは野田高梧の脚本に影響を与えたにとどまる。老境を迎えた両親と壮年に達した子どもたちとの関係はむしろ《戸田家の兄妹》の戦後版といえよう(もっとも,《戸田家の兄妹》そのものもヘンリー・キング監督のアメリカ映画《オーバー・ゼ・ヒル》(1931)の翻案といわれているのだが……)。…
※「東山千栄子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」