東山御物(読み)ひがしやまごもつ

精選版 日本国語大辞典 「東山御物」の意味・読み・例文・類語

ひがしやま‐ごもつ【東山御物】

  1. 足利義政東山山荘で制定した茶道具の名品唐物の目利きとして知られた能阿彌、芸阿彌父子が参与した。将軍家に集積された唐物名器の中から上等品と中等の上を選定したもので、宋元の名画の掛幅、盆、香合、燭香炉、花瓶、茶碗、葉茶壺、茶入、その他の雑器にわたる。義政の死後、四散したが、その一部は信長秀吉の秘蔵品となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東山御物」の意味・わかりやすい解説

東山御物
ひがしやまぎょぶつ

足利(あしかが)8代将軍義政(よしまさ)の時代にまとめられた室町幕府将軍家の宝物の総称。御物とは本来、天子の用に供された品物を称したもので、「正倉院御物」はもっとも古い呼称であった。ところが室町時代になると、将軍家の蔵品が天皇御物を圧倒したため、将軍家の蔵品をさして御物と称するようになった。中国の宋(そう)・元(げん)画を中心に編まれた『御物御画目録』は、義政の相府(しょうふ)画庫に収蔵されたなかから280幅の逸品を記したものとされるが、「右目録者、従鹿薗院(ろくおんいん)殿已来(いらい)御物御絵注文也、能阿弥(のうあみ)撰之」という奥書があるので、御物の内容は3代将軍義満(よしみつ)以来、6代義教(よしのり)から8代義政に至るまでの相府什物(しょうふじゅうもつ)をまとめたものであることがわかる。しかしその内容には多くの移動があったものと考えられている。

 尾州徳川家伝来の『室町殿行幸御飾(かざり)記』は1437年(永享9)10月、後花園(ごはなぞの)天皇が6代将軍義教の室町殿へ行幸された際の会所室礼(しつらい)の記録であるが、そのなかには唐絵(からえ)、墨跡、漆器、香炉、花瓶、茶盞(ちゃさん)、茶壺(ちゃつぼ)、茶入などの名称が記載されており、これが東山御物の基本となる器物であったと考えられる。これらの器物を集大成したのが唐物(からもの)目利きとして知られた同朋衆(どうぼうしゅう)能阿弥の編になる『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』であった。その中心になっているのは宋・元の絵画であり、それらのなかには義満(法名は道有、のち道義、道号は天山)の所蔵印「天山」「道有」や義教の所蔵印「雑華室」などが捺(お)されたものが含まれている。後世の書である『山上宗二記(やまのうえそうじき)』には三日月の茶壺、松島の茶壺、四十石の茶壺、捨子(すてご)の茶壺、橋立(はしだて)の茶壺、付藻茄子(つくもなす)茶入などの陶磁器を東山御物といっている。これらの御物は室町幕府の崩壊とともに四散し、三好(みよし)家の一党をはじめ、畿内(きない)の豪商、のちには織田信長、豊臣(とよとみ)秀吉の所蔵品の一部ともなっている。ちなみに、1660年(万治3)の序のある『玩貨(がんか)名物記』には「東山殿御物」に「ごもつ」と仮名が振ってあるから、そうした呼称が通例であったのかもしれない。

[筒井紘一]

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改訂新版 世界大百科事典 「東山御物」の意味・わかりやすい解説

東山御物 (ひがしやまごもつ)

〈ひがしやまぎょぶつ〉とも呼ばれる。狭義には東山殿と呼ばれた将軍足利義政の収集品をさすが,広くは足利将軍家の所蔵した,おもに唐絵(からえ)(宋元画)を中心とする美術工芸品をいう。徳川将軍家の所蔵品を柳営御物と呼ぶのに対しての呼称といえる。これらの作品を所持したことの根拠として,義政の祖父義満が画面に捺(お)した〈天山〉と〈道有〉の印章,父義教の〈雑華室印〉などの鑑蔵印が知られる。また所蔵宝物の典拠として,《室町殿行幸御飾記》《御物御画目録》などがある。《御物御画目録》には能阿弥によって,義満以来の宋元画280幅の題名と画家名が記されているし,長谷川等伯の《等伯画説》では800点にのぼったとされる。能阿弥の《君台観左右帳記(くんだいかんそうちようき)》も,中国画家の品等分けとともに,後半の座敷飾を述べた部分は,将軍家殿舎における御物(漆器,磁器,書巻,文房具等)の具体的な使用例を示している。御物は単なる収蔵品ではなく賞翫の対象として飾られ,用いられる場所(書院座敷)とともに存在するものである。また東山御物の性格は,元応2年(1320)以前の鎌倉円覚寺塔頭寺院の所蔵品目を記す《仏日庵公物目録》にうかがえる唐物(からもの)(中国文物)の受容からみても,禅思想とともに上流武家の生活に浸透して成立した唐物崇拝の結実といえる。この東山御物(おもに茶器)は,室町末期の茶の湯記録の中で復活し,美術鑑賞史に大きな影響を与えた。
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世界大百科事典(旧版)内の東山御物の言及

【東山御物】より

…御物は単なる収蔵品ではなく賞翫の対象として飾られ,用いられる場所(書院座敷)とともに存在するものである。また東山御物の性格は,元応2年(1320)以前の鎌倉円覚寺塔頭寺院の所蔵品目を記す《仏日庵公物目録》にうかがえる唐物(からもの)(中国文物)の受容からみても,禅思想とともに上流武家の生活に浸透して成立した唐物崇拝の結実といえる。この東山御物(おもに茶器)は,室町末期の茶の湯記録の中で復活し,美術鑑賞史に大きな影響を与えた。…

【東山文化】より

…足利義満の北山山荘(鹿苑寺金閣はその遺構)にちなむ,室町前期の北山文化に対する呼称であるが,義政の芸術的な資質に対する評価から,この時代を文化的な高揚期とみなす見方は早くからあった。室町幕府の歴代将軍によって収集された唐物(からもの)類が義政個人の功に帰せられ,〈東山御物(ひがしやまごもつ)〉と称されたのはその一例で,こうした見方は遅くとも16世紀の後半には生まれている。 この時期,政治的,社会的に無力となった公家は,かつての文化的な創造性を失い,和歌をはじめ文芸や芸能を家業として伝えるにすぎなかった。…

【蒔絵】より

… 室町時代に入ると武家社会にも貴族的な奢侈の風が広がり,茶や芸能がもてはやされ,工芸は舶載される中国宋元の唐物の影響を受けて特異な発達をとげる。いわゆる〈東山御物〉がそれで,蒔絵では《春日山蒔絵硯箱》(根津美術館)などがあげられる。1390年(元中7∥明徳1)寄進の記録を持つ熊野速玉大社古神宝類のうちの蒔絵手箱も当代の代表的遺品だが,この作品には肉合蒔絵や梨地が新たに工夫され,金具,切金,鋲などの平文系の技法も豊富になっている。…

※「東山御物」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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