杵屋佐吉(読み)キネヤサキチ

デジタル大辞泉 「杵屋佐吉」の意味・読み・例文・類語

きねや‐さきち【杵屋佐吉】

[1884~1945]長唄三味線方。4世。劇場に出演する一方、お座敷長唄の普及に努めた。また、大三味線や電気三味線を試作。

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精選版 日本国語大辞典 「杵屋佐吉」の意味・読み・例文・類語

きねや‐さきち【杵屋佐吉】

  1. 四世。邦楽家。長唄三味線方。劇場音楽としての長唄から座敷長唄へ、また三味線の独立、初心者向き譜本の作成など、大正、昭和の長唄界に革新をこころみた人。明治一七~昭和二〇年(一八八四‐一九四五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「杵屋佐吉」の意味・わかりやすい解説

杵屋佐吉
きねやさきち

長唄(ながうた)三味線方。杵佐(きねさ)派の家元名で、現在まで7世を数え、4世が著名。

初世

(?―1807)2世杵屋六三郎の門弟。『蜘蛛拍子舞(くものひょうしまい)』の作曲者として知られる。

[渡辺尚子]

2世

没年不詳。19世紀前半に活躍。初世の門弟である初世和吉の門人。『浅妻船(あさづまぶね)』『まかしょ』などを残す。

[渡辺尚子]

3世

(1821―81)2世和吉(初世和吉の実子)の門弟。

[渡辺尚子]

4世

(1884―1945)3世の孫。本名武藤良二。前名は浅吉で、1907年(明治40)4世を襲名。優れた作曲家でもあり、作品は1902年の『松竹梅』から没年までに325曲を数え、また歌詞を伴わない三弦(さんげん)主奏楽の創始をはじめ、比較的短い新形式の歌曲である芙蓉(ふよう)曲の作曲、三味線伴奏による童謡の作曲など、新分野で意欲的な活動を行う。さらに咸絃(かんげん)(電気三味線)、豪絃(大三味線)などの改良三味線の試作も行っている。長唄作品では『夜討曽我(ようちそが)』『二つ巴(どもえ)』などが有名。昭和20年12月13日没。

[渡辺尚子]

5世

(1929―93)4世の実子。本名武藤健二。1951年(昭和26)5世を襲名。5世没後は、長男の小佐吉(本名武藤貴則(たかのり))が6世を、次男の佐喜(本名武藤吉彦(よしひこ))が7世を襲名した。

[渡辺尚子]

『杵屋佐久吉著『四世杵屋佐吉研究』(1982・糸遊書院)』

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「杵屋佐吉」の解説

杵屋 佐吉(4代目)
キネヤ サキチ


職業
長唄三味線方

肩書
杵佐派家元,長唄協会会長

本名
武藤 良二(ムトウ リョウジ)

別名
前名=杵屋 良二,杵屋 浅吉(3代目)

生年月日
明治17年 9月17日

出生地
東京府 浅草区浅草七軒町(東京都台東区)

経歴
父は勤め人で、母は3代目杵屋佐吉の三女である初代杵屋佐喜。兄一人、妹二人の四人兄妹の二男として生まれる。明治27年祖父の門弟である杵屋佐喜次について初めて長唄修業をし、3代目杵屋勝三郎、9代目杵屋六三郎、6代目芳村伊三郎らに師事した。28年2代目宝山左衛門の手引きにより本名の良二で新富座の囃子部屋に入る。32年3代目杵屋浅吉を名乗り、37年立三味線昇進。40年4代目杵屋佐吉を襲名。28歳で明治座の囃子頭に推された。一時は新富座、本郷座の囃子頭も兼ねた。大正元年福原俊丸男爵の後援により長唄演奏会・芙蓉会を主宰、長く作品発表の舞台とし、5年より本格的に作曲を開始。大正8年従来の長唄を脱して、三味線を主奏とする器楽曲“三絃主奏楽”を創始し、第1作である「隅田川四季」を発表。唄をはずして楽器だけで表現をするという発想は邦楽作曲における一里塚となり、「まつり」「行進曲」「雪」など多くの作品を遺した。13年には“三絃歌謡曲”として「峠のわかれ」「少女若かれ」「踊ろうよ」の3曲を発表、昭和8年からは“芙蓉曲”と改称。同じく大正13年、童謡運動の波に乗って“三絃童謡”も初めて発表している。昭和12年には芝居風のセリフを取り入れた“新長唄”を発表するなど、邦楽の革新に大きく貢献した。また楽器改良にも努め、電気三味線、低音三味線(セロ三味線)、コントラバスに当たる大三味線(豪絃)などを作っている。大正15年文部省嘱託として妻の杵屋増子と欧米を外遊した。長唄協会の設立にも力を尽くし、同会長も務めた。他の作品に「水」「二つ巴」「五月雨」「伊勢参宮」「山伏摂侍」「潯陽江」「夢殿」「小鍛冶」「黒塚」などがある。

没年月日
昭和20年 12月13日 (1945年)

家族
妻=杵屋 増子,長男=杵屋 佐吉(5代目),母=杵屋 佐喜(初代),祖父=杵屋 佐吉(3代目),孫=杵屋 佐吉(7代目)


杵屋 佐吉(5代目)
キネヤ サキチ


職業
長唄三味線方

肩書
佐門会家元(5代目)

本名
武藤 健二

別名
前名=杵屋 小佐吉

生年月日
昭和4年 3月7日

出生地
東京

学歴
東京音楽学校中退

経歴
昭和26年5代目佐吉を襲名。作曲に「梅の宿」「花と柳」「鷺娘幻想曲」「常磐草子」など。4代佐吉についてまとめた著書「四世杵屋佐吉研究」がある。

所属団体
長唄協会(理事)

受賞
芸術祭賞(奨励賞・優秀賞 作曲部門)

没年月日
平成5年 1月20日 (1993年)

家族
父=杵屋 佐吉(4代目),長男=杵屋 小佐吉,二男=杵屋 佐吉(7代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「杵屋佐吉」の意味・わかりやすい解説

杵屋佐吉 (きねやさきち)

長唄三味線方。現在まで5世を数えるが,4世が著名。(1)初世(?-1807(文化4)) 2世杵屋六三郎の門弟。18世紀後半に,おもに中村座の長唄三味線方として活躍。《蜘蛛拍子舞(くものひようしまい)》の作曲者。(2)2世 生没年不詳。初世の門弟初世和吉の門弟である和助が1819年(文政2)に襲名する。《浅妻船》《寒行雪姿見(かんぎようゆきのすがたみ)》の作曲者。(3)3世(1821-81・文政4-明治14) 2世和吉の門弟和市が阿佐吉から佐吉を襲名する。(4)4世(1884-1945・明治17-昭和20) 3世の孫。本名武藤良二。前名3世浅吉。1907年佐吉を襲名。新富座,春木座,明治座の囃子頭や邦楽部長を歴任し,劇場長唄で活躍するとともに,長唄芙蓉会を組織,さらに三弦のみの合奏曲として三弦主奏楽を創始する。また,三味線の改良をはかり,咸弦(かんげん)(電気三味線),豪弦(低音三味線)を考案する。長唄協会の設立にも力を尽くしている。作品は,長唄曲としては《山伏摂待(やまぶしせつたい)》《二つ巴》《大森盛長》,三弦主奏楽として《隅田の四季》《まつり》《潯陽江》。長唄小曲として芙蓉曲を創始,《峠の別れ》《隅田音頭》《銀座夜曲》などを作曲した。(5)5世(1929-93・昭和4-平成5)4世の子。本名武藤健二,前名小佐吉,1951年に佐吉を襲名する。長唄創作に精進し,《花垣》《夜の雪》《鷺娘幻想曲》など数多くの作曲がある。
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20世紀日本人名事典 「杵屋佐吉」の解説

杵屋 佐吉(4代目)
キネヤ サキチ

明治〜昭和期の長唄三味線方 杵佐派家元。



生年
明治17(1884)年9月17日

没年
昭和20(1945)年12月13日

出生地
東京

本名
武藤 良二

別名
前名=杵屋 浅吉(3代目)

経歴
6代目芳村伊三郎らに師事、明治32年明治座で初舞台。37年4代目佐吉を襲名し立三味線に昇進、松竹合名会社の長唄部長に就任。39年長唄音楽会を結成、委員長。40年明治座の囃子頭。45年長唄芙蓉会を設立、会長として長唄の家庭への普及に努めた。大正8年三味線を主奏とする器楽曲「三絃主奏楽」を発表、第1回の「隅田の四季」から「まつり」「水」「二つ巴」「五月雨」「伊勢参宮」など多くの名曲を残した。また楽器改良にも努め、電気三味線、セロ三味線、豪弦などを作った。長唄協会の設立にも尽力、戦争中は同協会会長を務めた。


杵屋 佐吉(5代目)
キネヤ サキチ

昭和期の長唄三味線方 佐門会家元(5代目)。



生年
昭和4(1929)年3月7日

没年
平成5(1993)年1月20日

出生地
東京

本名
武藤 健二

別名
前名=杵屋 小佐吉

学歴〔年〕
東京音楽学校中退

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞(奨励賞・優秀賞 作曲部門)

経歴
昭和26年5代目佐吉を襲名。作曲に「梅の宿」「花と柳」「鷺娘幻想曲」「常磐草子」など。4代佐吉についてまとめた著書「四世杵屋佐吉研究」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「杵屋佐吉」の意味・わかりやすい解説

杵屋佐吉(4世)
きねやさきち[よんせい]

[生]1884
[没]1945
長唄三味線方,杵佐派の家元。3世杵屋佐吉の孫で,1907年4世を襲名 (1904年説もある) 。 11年,長唄芙蓉会を設立し演奏会用長唄の普及に努め,19年には三弦主奏楽を創始,『隅田の四季』を発表,以後,主奏楽として『まつり』『潯陽江 (じんようこう) 』『雪』などを作曲。また,長唄の作曲にも腕をふるい,『山伏摂待 (せったい) 』『二つ巴』『黒塚』『二人知盛』などを作曲。一方,三味線の改良をはかった結果,セロ三味線,大三味線,咸弦 (かんげん) などを考案し,特に咸弦は2世市川猿之助演じる『幻浦島』『解脱天狗』に用いて効果をあげた。そのほか芙蓉曲,童謡も作曲して長唄界に新風を吹込むとともに,長唄協会の設立にも尽力。

杵屋佐吉(1世)
きねやさきち[いっせい]

[生]?
[没]文化4(1807)
長唄三味線方,杵佐派の家元。2世杵屋六三郎の門弟。安永~寛政年間 (1772~1801) に活躍。大薩摩の名手といわれ,『蜘蛛拍子舞』の作曲者として知られている。

杵屋佐吉(5世)
きねやさきち[ごせい]

[生]1929.3.7.
[没]1993.1.20.
長唄三味線方,杵佐派の家元。4世杵屋佐吉の実子。本名武藤健二。 1951年5世を襲名,『梅の宿』『花と柳』など作曲にその才をみせた。5世の没後は長男が6世を継ぎ,さらに次男が7世を襲名した。

杵屋佐吉(2世)
きねやさきち[にせい]

長唄三味線方,杵佐派の家元。1世杵屋佐吉の孫弟子和助が襲名。文政~天保年間 (1818~44) に活躍。『浅妻船』,『寒行雪姿見』 (『まかしょ』) の作曲者として知られる。

杵屋佐吉(3世)
きねやさきち[さんせい]

[生]文化9(1812)
[没]1881
長唄三味線方,杵佐派の家元。2世杵屋和吉の門弟。前名和市。明治の初めの頃3世を襲名する。

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百科事典マイペディア 「杵屋佐吉」の意味・わかりやすい解説

杵屋佐吉【きねやさきち】

長唄三味線方の芸名。現在は7世。初世は18世紀末に《蜘蛛拍子舞(くものひょうしまい)》などを,2世は19世紀初めに《浅妻船》などを残した。4世〔1884-1945〕は大正・昭和にかけて歌詞を伴わない〈三絃主奏楽〉の創始,低音三味線や電気三味線の考案など,長唄界に新風を吹き込んだ。7世〔1953-〕は5世の次男で1993年に襲名。
→関連項目浅妻船黒髪

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杵屋佐吉」の解説

杵屋佐吉(4代) きねや-さきち

1884-1945 明治-昭和時代の長唄三味線方。
明治17年9月17日生まれ。3代杵屋佐吉の孫。明治40年4代を襲名。明治座邦楽部長をつとめる。大正元年長唄芙蓉会を組織し,三弦主奏楽や芙蓉曲(長唄小曲)などを創始。三味線を改良して咸弦(電気三味線)・豪弦(大三味線)などを試作。長唄協会の創立にもつくした。昭和20年12月13日死去。62歳。東京出身。本名は武藤良二。作品に「二つ巴(どもえ)」「黒塚」など。

杵屋佐吉(2代) きねや-さきち

?-? 江戸時代後期の長唄三味線方。
初代杵屋佐吉の門弟の初代和吉(わきち)に師事。前名は和助。文政2年(1819)江戸中村座で2代佐吉を襲名して立三味線にすすみ,天保(てんぽう)7年ごろまで活躍した。作品に「浅妻船(あさづまぶね)」「まかしょ」など。

杵屋佐吉(初代) きねや-さきち

?-1807 江戸時代中期-後期の長唄三味線方。
2代杵屋六三郎の門弟。安永7年江戸中村座の立三味線。以後佐吉名は杵佐派の家元名として7代をかぞえる。文化4年11月4日死去。作品に「蜘蛛拍子舞(くものひょうしまい)」。

杵屋佐吉(3代) きねや-さきち

1821-1881 幕末-明治時代の長唄三味線方。
文政4年生まれ。3代杵屋和吉(わきち)の門弟。明治の初めに3代佐吉をついだ。明治14年9月9日死去。61歳。初名は杵屋和市。前名は2代杵屋阿佐吉。

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367日誕生日大事典 「杵屋佐吉」の解説

杵屋 佐吉(4代目) (きねや さきち)

生年月日:1884年9月17日
明治時代-昭和時代の長唄三味線方
1945年没

杵屋 佐吉(5代目) (きねや さきち)

生年月日:1929年3月7日
昭和時代の長唄三味線方
1993年没

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世界大百科事典(旧版)内の杵屋佐吉の言及

【蜘蛛拍子舞】より

…本名題《我背子恋の合槌(わがせこがこいのあいづち)》。作詞初世桜田治助,作曲初世杵屋(きねや)佐吉,振付2世藤間勘兵衛。源頼光が病気のため宿直の四天王の一人碓井貞光が警固するところに,白拍子妻菊が現れ,剣問答の拍子舞となる。…

【まかしょ】より

…作詞2世桜田治助。作曲杵屋(きねや)和助(2世杵屋佐吉)。振付3世藤間勘兵衛。…

【三弦主奏楽】より

…三味線音楽の一種目。4世杵屋(きねや)佐吉の始めたもので,三味線主奏楽ともいう。従来の長唄では三味線が歌の伴奏楽器としての役割しか果たしていないことに疑問を抱いた佐吉が地歌の《》の旋律にヒントを得て,三味線を独立させ,その持味を生かした器楽曲を作り出したもの。…

【蚤取男】より

…作詞木村富子。作曲4世杵屋(きねや)佐吉。2世市川猿之助(猿翁)が創演し,得意とした〈猿翁十種〉の一。…

※「杵屋佐吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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