杵築神社(読み)きづきじんじや

日本歴史地名大系 「杵築神社」の解説

杵築神社
きづきじんじや

[現在地名]比和町比和 布見

比和川支流の布見ぬのみ川上流、藤縺ふじもつれ山山麓に鎮座祭神大国主命伊弉冉尊。「芸藩通志」には

<資料は省略されています>

とみえる。「古事記」にみえる伊邪那美命の埋葬地「比婆の山」とのかかわりを推測し、関連の地名をあげているが、伯耆国に距離がある点で比定に無理のあることも後文に記している。寛延四年(一七五一)成立の「比和村万旧録」(「比和町誌」所収)社殿は梁行一間半に桁行二間、社領は見付田二畝・高一斗で、明暦二年(一六五六)より免地と記す。


杵築神社
きつきじんじや

[現在地名]君田村櫃田

櫃田ひつた地区の南部字みやはらにある。大己貴命・稲田姫命・素盞嗚命を祀る。旧村社。嘉暦二年(一三二七)出雲大社の分霊を勧請(宗教法人台帳)とも、元慶二年(八七八)の勧請で願主は杉谷九郎右衛門元道ともいう(双三郡誌)

櫃田村の「国郡志下調書出帳」に「永禄十六月廿八日再建、奉行秋利左衛門(中略)と申棟札御座候」とある。


杵築神社
きつきじんじや

[現在地名]三宅町大字但馬字ヘカタ

但馬たじま集落東端に鎮座。祭神須佐男すさのお命。旧村社。境内に旧宮寺の常楽じようらく寺薬師堂が残る。薬師堂は宮座の長老の支配であった(「但馬村鎮守宮明細帳」社蔵)。社前のかがみ池のほとりには元応元年(一三一九)の十三重石塔があり、常福寺(由緒未詳)に寄進されたものである。


杵築神社
きつきじんじや

[現在地名]三宅町大字屏風字参宝院

川西町との境に鎮座し、通称太子たいし道に面する旧村社。須佐男すさのお命を祀り、天和四年(一六八四)石灯籠には牛頭天王宮とある。現三宅町屏風びようぶ三河みかわ鎮守本殿古式を残し、拝殿にある慶応四年(一八六八)おかげ踊絵馬は県指定文化財。


杵築神社
きつきじんじや

[現在地名]三宅町大字伴堂

旧村社。祭神は須佐男すさのお命。境内末社四社がある。当社にある絵馬のうち、おかげ踊を描いた天保二年(一八三一)の絵馬(二枚)と慶応四年(一八六八)の絵馬は、県指定有形民俗文化財。なかでも慶応四年の絵馬は縦一一〇・八センチ、横一九一・五センチの見事なものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android