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松代城 まつしろじょう

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日本の城がわかる事典の解説

まつしろじょう【松代城】

長野県長野市(旧埴科郡松代町)にあった輪郭式の平城(ひらじろ)。戦国時代、甲斐の武田氏により築かれ、江戸時代には真田氏の松代藩の藩庁が置かれた。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。この城は、もともとは海津城といった。『甲陽軍鑑』によれば、武田晴信(武田信玄)が長尾景虎(のちの上杉謙信)の侵攻に備えるため家臣の山本勘助に命じて清野氏の館を改築して海津城を築かせたとされている。しかし、その真偽は疑わしく、築城時期は不明である。ただし、武田氏が築いた城であることには異論はなく、武田氏の城(甲州流築城術)の特徴をよく残した城郭の一つである。その後、信玄はこの城を北信濃の要の城として高坂昌信に守らせ、川中島の戦いにおける合戦の舞台の一つになった。武田氏滅亡後、織田信長家臣の森長可の居城となったが、本能寺の変が起こると長可は信濃を放棄して退却したため海津城は空城となり、信濃に侵入した越後の上杉景勝の属城となった。1598年(慶長3)、景勝が会津に転封になると豊臣秀吉の蔵入地となり、城主には田丸直昌が任じられた。1600年(慶長5)、直昌に代わって森忠政が入封し城主となったが、このとき、城名は「待城」に改名されたといわれる。1603年(慶長8)に忠政が美作へ転封になると、徳川家康の六男松平忠輝が入城した。このとき、城名はさらに「松城」に変えられた。1616年(元和2)、忠輝が将軍で兄の徳川秀忠により改易されると、代わって甥の松平忠昌が城主となるが、忠昌は1619年(元和5)に越後高田へ移封となり、酒井忠勝が10万石で入城した。そして、1622年(元和8)に忠勝が出羽庄内に移封されると、真田信之が信州上田から10万石で入封し城主となった。以後、真田氏が代々の城主を務めて明治維新に至ったが、1873年(明治6)に、同城は火災により焼失している。この間、1717年(享保2)に、幕府の命令により城名が松代城に改名された。同城には天守台があり、もともと天守が築かれていたが、早い時期に失われたようで、本丸の四隅に二重櫓(にじゅうやぐら)が設けられていた。1981 年(昭和56)には、本丸を中心とした城址の一部が国の史跡に指定され、2004年(平成16)には太鼓門、堀、石垣、土塁などが復元され、今日に至っている。長野電鉄屋代線松代駅から徒歩約5分。JR長野駅からはバス約30分で松代駅下車、徒歩約5分。

出典|講談社
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