石州流(読み)セキシュウリュウ

デジタル大辞泉 「石州流」の意味・読み・例文・類語

せきしゅう‐りゅう〔セキシウリウ〕【石州流】

茶道流派の一。片桐石州を祖として江戸初期に成立分派が多い。
華道の一派。片桐石州を祖とする。

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精選版 日本国語大辞典 「石州流」の意味・読み・例文・類語

せきしゅう‐りゅうセキシウリウ【石州流】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 片桐石州を開祖とする茶道と華道の流派。
    1. (イ) 江戸時代、寛永一六二四‐四四)頃にはじまる茶道の一流派。鎮信派、怡渓(いけい)派、清水派などに分かれる。〔茶人大系譜(1826)〕
    2. (ロ) 華道の流派の一つ。
      1. [初出の実例]「世に有人は茶筅松石刕流(セキシウリウ)みどりをつげ、あるは赤地の雲の袖窓(そでまど)よりわが色こぼすこぼさぬのと人にきかせぬ」(出典:評判記・難波の㒵は伊勢の白粉(1681)二)
  3. 石珠骨(せきしゅぼね)につくられていること。また、その扇。
    1. [初出の実例]「石州流の扇を抜、中の間三間はらりっと開いて」(出典:歌謡・淋敷座之慰(1676)騒歌)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石州流」の意味・わかりやすい解説

石州流
せきしゅうりゅう

片桐(かたぎり)石州を開祖とする茶道の流派。江戸初期に成立。台子(だいす)の作法に加えて、千利休(せんのりきゅう)の長男道安(どうあん)から桑山宗仙(くわやまそうせん)へと伝わった利休一畳半の茶法を、さらにその個性にあわせてくふう改良し、独自の茶風を形成、一流派を開く。石州は、古田織部(おりべ)、小堀遠州に続く将軍指南として、徳川4代将軍家綱の茶の湯指導にあたった。この関係から、全国の諸大名旗本御家人(ごけにん)などの間で大いに隆盛し、広まったが、石州流は、石州直系の子孫によって伝わったほかに、石州門下の逸材によっても伝えられた。その諸派分散発展の様相は著しく、石州流が茶道流派中もっとも多岐にわたる流派として世に知られるのは、完全相伝制をとったゆえと考えられる。

[筒井紘一]

新石州

石州の子孫によって伝えられた茶道石州流直系。8世片桐貞信(さだのぶ)が、千家の茶風を加えて新石州を唱えた。

[筒井紘一]

石州流宗家

昭和になって、14世片桐貞央が小泉城跡大和郡山(やまとこおりやま)市)に高林庵(あん)を建て、改めて石州流宗家を名のった。

[筒井紘一]

宗源派

江戸初期。片桐石州の家老藤林宗源を祖とする一派。

[筒井紘一]

怡渓派

江戸初期。石州の直弟子で茶僧の怡渓(いけい)宗悦を祖とする。江戸の町に伝わったのを江戸怡渓派新発田(しばた)を中心に越後(えちご)(新潟県)地方一帯に広まったのを越後怡渓派という。

[筒井紘一]

伊佐派

江戸初期。怡渓宗悦の高弟で宗匠の伊佐幸琢(こうたく)を祖とする。この幸琢の称は、4世まで継承。

[筒井紘一]

鎮信派

江戸初期。藤林宗源について石州流を窮めた肥前(長崎県)平戸(ひらど)の5代藩主松浦鎮信(まつらしげのぶ)を祖とする。

[筒井紘一]

不昧派

江戸後期。3世伊佐幸琢の門流から出た出雲(いずも)(島根県)松江の7代藩主松平不昧(ふまい)を祖とする。

[筒井紘一]

古石州

江戸後期。宗源派の流れをくむ備後(びんご)(広島県)福山藩主水野家臣の本荘(ほんじょう)氏が、幕末のころ大坂に移って広めたもので、おもに大坂町人たちの間に流布し、明治以後に発展した。町人風の茶道として存続し、他派とはすこし趣(おもむき)が異なる。

 そのほか、大西閑斎(かんさい)を祖とする大西派、大口樵翁(しょうおう)を祖とする大口派、清水道竿(どうかん)を祖とする清水派、野田酔翁(すいおう)を祖とする野田派などいろいろある。

[筒井紘一]

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改訂新版 世界大百科事典 「石州流」の意味・わかりやすい解説

石州流 (せきしゅうりゅう)

片桐石州を流祖とする茶道の流派の一つ。石州が4代将軍徳川家綱の茶道師範であった関係で,全国大名,旗本のあいだでひろまった。茶法の基本を台子(だいす)の伝法にあるとし,利休の伝になる一畳半の茶法を究極のものとして伝授するよう規定した。その後,石州流では一貫して完全相伝制をとったため,石州直系の8世片桐貞信が〈新石州〉を唱え,昭和に至り14世片桐貞央が石州流宗家を名のったほか,多くの派を形成して伝流している。石州の家老藤林宗源を祖とする宗源派,怡渓(いけい)宗悦を祖とする怡渓派,伊佐幸琢を祖とする伊佐派,松平鎮信を祖とする鎮信派,清水道閑を祖とする清水派,さらに大西閑斎を祖とする大西派,大口恕軒を祖とする大口派,野田酔翁を祖とする野田派,松平不昧(ふまい)を祖とする不昧派などがそれである。
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百科事典マイペディア 「石州流」の意味・わかりやすい解説

石州流【せきしゅうりゅう】

江戸初期の茶人片桐石州を祖とする茶道の流派。茶法の基本を台子(だいす)の伝法にあるとし,全国の大名,旗本の間に広まった。石州直系の子孫に伝わった(現在は新石州と呼ばれる)ほかに,怡渓(いけい)派,宗源派や古石州(大阪石州)など分派が多い。
→関連項目井伊直弼松平治郷

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世界大百科事典(旧版)内の石州流の言及

【家元】より

…しかし免許状は家元以外からは発行できないのが一般的で,いかに高弟であっても家元に成り代わることは認められない。ところが茶道の石州流では古くから免許権そのものを相伝する。その結果,石州流ではさまざまの分派と家元を生じ今日に至っている。…

【いけばな】より

…享保期から明和・天明期(1764‐89)にかけては,抛入花から生花へと日本のいけばなが変化をとげる過渡期であって,抛入花と立花の優劣論や,寛延年間(1748‐51)の落帽堂暁山のごとく五常の道を説き〈義あつて花を生くればいけはななり〉などの所論を重ねて,草木の出生(しゆつしよう)を明らかにし,それに従って花を生けるこそ本義であるとする,安永・天明期(1772‐89)の是心軒一露の《草木出生伝》の出現までの道をたどる。明和から安永・天明期にかけては生花の諸流派が多数の成立をみた時代で,千家流,松月堂古流,古田流,遠州流,庸軒流,源氏流,但千流,正風流,千家我流,相阿弥流,宏道流,石州流,東山流などの流派が,それぞれの主張にもとづいて生花の教導をはじめた。生花がその花形(かぎよう)を明確に定めるのは文化・文政期(1804‐30)であって,陰陽五行説や地水火風空の五大を説いて花形を形成しようとした松月堂古流からはじまって,やがて天地人三才格による花形の定めが一般化し,円形の天に内接する正方形の地の図形を,さらに半切した三角形(鱗形)を求め,天枝・地枝・人枝の3本の役枝によって花形を定める,当時として最も合理的な未生斎一甫の考え方によって,生花はその花形を完成したものとみてよい。…

【片桐石州】より

…江戸時代初期の大名,茶匠,石州流の開祖。片桐且元の弟主膳正貞隆の子として摂津茨木に生まれる。…

【慈光院】より

…山号は円通山。茶道石州流の始祖である片桐石州が,亡父貞隆の菩提のため,1663年(寛文3)大徳寺の玉舟宗璠を開山にして開創した。石州の禅と茶,また幕府普請奉行としての技術をしのばせる茶室と書院(重文),それに庭園(名・史)があることで有名である。…

※「石州流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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