改訂新版 世界大百科事典 「柳馨遠」の意味・わかりやすい解説
柳馨遠 (りゅうけいえん)
(R)Yu Hyǒng-wǒn
生没年:1622-73
朝鮮実学の創始者。字は徳夫,号は磻渓(ばんけい)。黄海道文化の人。京畿道楊平,驪州(れいしゆう)に住み,母方の叔父李元鎮を師として学んだ。仕官の道を断念して,壬辰・丁酉(ていゆう)倭乱(文禄・慶長の役),丙子(へいし)の乱後の国家および民生問題の解決を学問の中心におき,1653年に全羅道扶安郡愚磻洞という僻地に移住。村民に飢饉に備えた食糧の備蓄,緊急時のための造船や馬の飼育を指導したり,隣人や奴僕などとも身分を超えて交際するなど,その実学の思想を実践した。多くの著作のうち現伝するものは《磻渓随録》のみであるが,この書は田制を基本とし,教選(官僚の養成と選抜),任官,職官,禄制,兵制などについて歴史的に考証し,公田制による土地均分などの改革案を展開している。1770年に英祖の特命で刊行され,後世に伝わる。その思想は李瀷(りよく)らによって継承されていく。
執筆者:姜 在 彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報