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柳馨遠 りゅうけいえん Yu Hyǒng-wǒn

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

柳馨遠
りゅうけいえん
Yu Hyǒng-wǒn

[生]光海君14(1622)
[没]顕宗14(1673)
朝鮮,朝鮮王朝 (李朝) 時代の実学者。黄海道信川郡文化面出身。字は徳夫。号ははん渓。仕官をせず一生涯全羅北道扶安郡の農村で著作と学問研究に没頭した。その著書には『はん渓随録』 (26巻) がある。

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世界大百科事典 第2版の解説

りゅうけいえん【柳馨遠 (R)Yu Hyŏng‐wŏn】

1622‐73
朝鮮実学の創始者。字は徳夫,号は磻渓(ばんけい)。黄海道文化の人。京畿道楊平,驪州(れいしゆう)に住み,母方の叔父李元鎮を師として学んだ。仕官の道を断念して,壬辰・丁酉(ていゆう)倭乱(文禄・慶長の役),丙子(へいし)の乱後の国家および民生問題の解決を学問の中心におき,1653年に全羅道扶安郡愚磻洞という僻地に移住。村民に飢饉に備えた食糧の備蓄,緊急時のための造船や馬の飼育を指導したり,隣人や奴僕などとも身分を超えて交際するなど,その実学の思想を実践した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

柳馨遠
りゅうけいえん
(1622―1673)

朝鮮、李(り)朝の学者。字(あざな)は徳夫。号は(ばんけい)。生涯学問研究に専心し、多くの書物を著したが、彼の理想国家建設の構想を述べた『渓随録』のみが現在残されている。土地は天下の根本という農本思想の立場から、まず土地改革を実施することによって、当時の弊害の多かった社会制度全般を改めることを主張した。のちに『渓随録』は英祖(在位1724~1776)の特命で刊行され、彼の経世致用の実学は星湖李(りよく)(1681―1763)、茶山丁若(ていじゃくよう)(1762―1836)らに継承された。[山内弘一]
『千寛宇著、旗田巍監修、田中明訳『韓国史への新視点』(1976・学生社)』

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