明治末期、藩閥系で山県有朋(やまがたありとも)の後継者桂太郎と立憲政友会総裁西園寺公望(さいおんじきんもち)が交互に政権を担当した時代。第一次桂太郎内閣の後期、桂首相は日露戦争終結前後の難局乗り切りのため1904年(明治37)末より政友会の原敬(はらたかし)と7回にわたり会談。後継首班には西園寺を推挙し、次年度の政策、予算は桂内閣で立案、政党内閣と称しない、元老の紐(ひも)つきを入閣させないなどを条件とし、桂は「手伝人」として西園寺公望内閣の成立に尽力。当初は援助したが、原敬内相の山県系切り崩しに危険を感じ、内閣の財政策失敗をとらえ元老を使嗾(しそう)して倒閣した。第二次桂内閣では「一視同仁(いっしどうじん)」策(すべての政治グループを平等にみる意。しかしじつは政友会打破策)を掲げ、反政友会政党を結集しようとしたが、失敗すると直ちに西園寺と妥協した(原外遊中)。大逆事件以後の難局には政友会と「情意投合」して、原が難局をきり抜けた。次の第二次西園寺内閣では原は内閣の独自性を首相に進言、行財政整理に没頭した。これに対し陸軍は師団増設を強要、明治天皇の死により欧米漫遊の途中で帰国した桂は、内大臣になったのを理由に政府の調停依頼を怠り内閣は倒れた。第三次桂内閣は憲政擁護運動のため2か月余で倒れた。この時代は桂内閣と政友会との表面妥協・裏面対立の進行した時期である。
[山本四郎]
『徳富蘇峰著『公爵桂太郎伝』(1917・故桂公爵記念事業会)』▽『立命館大学西園寺公望伝編纂委員会編『西園寺公望伝3』(1993・岩波書店)』▽『坂野潤治著『大正政変』(1982・ミネルヴァ書房)』▽『山本四郎著『評伝原敬』上・下(1997・東京創元社)』
日露戦争後,桂太郎と西園寺公望が首相として交互に政権を担当した政治形態の総称。明治維新以来,薩長藩閥政治家中の元勲層が政権を担当してきたが,1901年伊藤博文が第4次内閣を投げ出して以後,長州閥の桂太郎が政権を担当して新しい時代が始まった。とくに日露戦争中に桂は衆議院における第一党立憲政友会との連携を強めて議会工作を展開し,各方面からの批判が強かった講和条約への同意をとりつけた。その反対給付として桂は政権を政友会総裁の西園寺公望に譲り,これ以後,特権的な官僚勢力を代表する桂と,政党勢力を代表する西園寺が妥協・提携して交互に政権を担当した。その間,いずれも軍備増強や植民地経営・産業育成を中心とする日露戦後経営の実現を課題としながらも自己の勢力拡大に努めた。1911年第2次桂内閣が総辞職して第2次西園寺内閣に交代したのを契機に桂園時代の密接な関係は事実上解消し,やがて大正政変の前提条件が形成された。
執筆者:宇野 俊一
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明治後期~大正初期に桂太郎と西園寺公望(きんもち)が交互に政権を担当した時期の通称。日露戦争を機に妥協した山県系藩閥・官僚閥と政友会は,政権の交互担当と基本利益の尊重,薩摩閥・非政友系政党の排除を半ば慣行化させた。この秩序を桂園体制とよび,これが機能していた時期を桂園時代とよぶ。
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…しかし日露講和条約に対する不満は日比谷焼打事件から全国的な非講和運動に発展し,その衝撃もあって05年12月には総辞職し,西園寺を後継首班に推薦した。以後いわゆる〈桂園時代〉と呼ばれる一時期が現出した。07年には日露戦争の功により侯爵となり,翌年には西園寺内閣のあとをうけて第2次桂内閣を組織し,対外的には10年に韓国を併合,その功により公爵に陞爵(しようしやく),対内的には社会主義・無政府主義者を徹底的に弾圧し,大逆事件では幸徳秋水ら12名を死刑に処した。…
… この政友会を基礎にして1900年10月第4次伊藤内閣は成立したが,政党に拒否反応を示す山県系官僚の反感をかい,01年の第15議会では貴族院が政府提出の増税案に反対するという異例の事態となり,詔勅でこれをのりきったが閣内対立から総辞職した。これ以後,官僚勢力を代表する桂太郎と,03年伊藤博文に代わって総裁となった西園寺公望の政友会との対抗と妥協によって政権が維持される,いわゆる桂園時代が展開される。この間,党運営は原敬や松田正久らが実権を握って運用し,とくに第1次,第2次の西園寺内閣には原が内相に就任し,官僚勢力に対抗,鉄道の敷設や道路・港湾の整備,学校の設立などの地方利益を積極的に誘導することにより,地主層や地方財界人などに支持基盤を固めて党勢を拡大した。…
※「桂園時代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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