日本大百科全書(ニッポニカ) 「桑田熊蔵」の意味・わかりやすい解説
桑田熊蔵
くわたくまぞう
(1868―1932)
明治・大正期の代表的社会政策学者。明治元年11月17日鳥取県東伯郡倉吉町に生まれる。1893年(明治26)帝国大学法科大学政治学科を卒業。96年金井延(のぶる)らと社会政策学会を創設、同年社会問題研究のためイギリス、ドイツ、フランスに留学。98年帰国し、その成果をまとめて『欧州労働問題の大勢』(1900)を刊行、また、社会政策学会の中心的幹事として運営に尽力した。彼は「一体系としての社会政策学を専攻した」最初の学者であって、社会政策思想を初めて本格的に紹介したのが金井延であるとすれば、その思想の確立に最大の貢献をしたのが桑田である。彼は東大法学科・工科、東京高等工業などの講師、中央大学経済学部の教授・学部長を務め、また1904年(明治37)には多額納税者として貴族院議員になり、以後数多くの政府・各種団体の委員(工場法制定調査委員、内務省社会局参与など)を歴任、社会政策の理論と実践の両域で活躍した。昭和7年12月10日没。なお、論文の主要なものは『桑田熊蔵遺稿集』(1934)に収められている。
[多田 顯]
『難波田春夫著『近代日本社会経済思想史』(1973・前野書店)』