桜田武
さくらだたけし
(1904―1985)
経営者、財界人。広島県沼隈(ぬまくま)郡赤坂村(現福山市)に生まれる。1926年(大正15)東京帝国大学法学部を卒業と同時に日清(にっしん)紡績入社。宮島清次郎社長の薫陶を受けつつ順調に昇進し、1944年(昭和19)専務、1945年12月社長就任。1964年社長退任、会長。1970年会長退任、相談役就任。財界活動としては、初め経済同友会幹事(1946)となるが、1948年に日本経営者団体連盟(日経連。現日本経済団体連合会)が創設されると総理事となり、秩父(ちちぶ)セメント(現太平洋セメント)会長諸井貫一(もろいかんいち)亡きあと、代表常任理事(1960)として日経連のリーダーとなり活躍。1974年日経連会長。1979年同会長を退任し名誉会長。
[浅野俊光]
『『桜田武論集 下巻』(1982・日経連)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
桜田 武
サクラダ タケシ
昭和期の実業家,財界人 日経連名誉会長;財政制度審議会会長;経済同友会終身幹事;元・日清紡績社長。
- 生年
- 明治37(1904)年3月17日
- 没年
- 昭和60(1985)年4月29日
- 出生地
- 広島県沼隈郡赤坂村(現・福山市)
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学法学部〔大正15年〕卒
- 経歴
- 日清紡績に入社、“吉田首相の指南役”といわれた宮島清次郎社長から経営者としての指導を受け、昭和20年、41歳で同社社長に就任。会長、相談役を経て59年から顧問。この間、アラビア石油の創設に参加、また東邦レーヨン会長として同社の再建に当たる。一方、日経連には23年の創立時から参加、代表常任理事、会長を経て54年に名誉会長に退くまで日経連の象徴的存在だった。労働組合に対しては「行き過ぎた労働運動は国を滅ぼす」と労使対決路線で一貫。50年からは財政審会長として土光敏夫経団連名誉会長らとともに、行財政改革の中心的存在だった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
桜田武
さくらだたけし
[生]1904.3.17. 広島
[没]1985.4.29. 東京
実業家。 1926年,東京大学を卒業し日清紡績に入り,45年社長となった。先輩宮嶋清次郎と吉田茂の親交の縁から,吉田およびその門下の池田勇人と親交を結び,政界への発言権を強めた。 64年同紡績会長,70年相談役と,社業からは身を引いたが,財界人として重きをなした。特に,48年の創設以来,日経連で活躍し,総理事,代表常任理事のあと,74年会長となる。 79年5月あとを大槻文平に譲り,同会長を辞任した。清廉剛直な人柄で,政財界に対し苦言,直言を呈した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 
桜田武 さくらだ-たけし
1904-1985 昭和時代の経営者,財界人。
明治37年3月17日生まれ。大正15年日清(にっしん)紡績にはいり昭和20年社長,39年会長。また23年日経連の創設とともに総理事,35年代表常任理事として活躍し,49年会長。財政制度審議会会長。昭和60年4月29日死去。81歳。広島県出身。東京帝大卒。
【格言など】企業は公器である。職場に明るい一灯を点じ世の一隅を照す(信念)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
桜田 武 (さくらだ たけし)
生年月日:1904年3月17日
昭和時代の実業家;財界人。日清紡績社長;日経連会長
1985年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内の桜田武の言及
【日本経営者団体連盟】より
…しかし組合対策だけが日経連の主要活動ではない。初代代表常任理事諸井貫一(秩父セメント社長,1896‐1968)は経営者啓蒙を第一任務とし,続く桜田武会長(日清紡社長)も78年創立30年記念総会で,経営モラルの確立,人間関係の重視,社会的貢献を創立以来の三大使命に掲げた。なお日経連は,創立当初は代表常任理事制だったが,1949年5月以降は会長制をとっている。…
※「桜田武」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 