「伊呂波字類抄」は、檀林皇后(嘉智子)が橘氏の氏神を、
承和三年(八三六)一一月七日、当社の酒解神に従五位上、同じく大若子神・小若子神に従五位下、同一〇年五月二三日酒解子神に従四位下が授けられ(続日本後紀)、天安三年(八五九)一月二七日、前記四神に正四位上(「三代実録」貞観元年同日条)、貞観一七年(八七五)五月一四日には従三位(同書)、延喜一一年(九一一)二月二日、梅宮神に正三位が授けられている(日本紀略)。
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京都市右京区に鎮座。酒解(さかとけ)神,大若子(おおわくご)神,小若子神,酒解子神を主神とし,嵯峨天皇,仁明天皇,檀林皇后,贈太政大臣橘清友公を配祀する。橘諸兄(もろえ)の母,橘三千代が,山城国相楽郡井出庄(現,綴喜郡井手町)の井出寺に橘氏の氏神としてまつったのが創祀。のちたびたびその鎮座地を移したが,仁明天皇のとき託宣により,天皇の母檀林皇后(橘嘉智子)により現在地に移され,皇后みずからまつったのが梅宮祭の起源。その梅宮祭は4月,11月の上酉日に行われ,橘氏の五位1名が勅使として奉幣のため派遣されたが,橘氏が衰えるとともに藤原氏が代わった。875年(貞観17)従三位に叙され,延喜の制で名神大社,のち二十二社の制の一社に加えられた。中世荒廃したが,江戸幕府は朱印領59石余を寄せ,明治の制で官幣中社。酒の神として信仰される。
執筆者:鎌田 純一
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京都市右京区梅津(うめづ)フケノ川町に鎮座。祭神は、酒解神(さかとけのかみ)、大若子神(おおわくごのかみ)、小若子神(こわくごのかみ)、酒解子神(さかとけのみこがみ)の4座を主祭神に、嵯峨(さが)天皇、仁明(にんみょう)天皇、檀林(だんりん)皇后(嵯峨天皇皇后、橘嘉智子(たちばなのかちこ))、橘清友(きよとも)(檀林皇后の父)をあわせ祀(まつ)っている。初め県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)(藤原不比等(ふひと)の妻、光明(こうみょう)皇后の母)が奉斎していたのを、のちに山城(やましろ)国(京都府)相楽(そうらく)郡に移し、仁明天皇(在位833~850)の御代に檀林皇后が橘氏の氏神として現社地に社殿を造営したと伝えられる。『延喜式(えんぎしき)』で名神(みょうじん)大社に列し、平安中期以降の二十二社奉幣社の一つにも加えられた。酒造家の信仰が厚く、また安産の神としても尊崇されている。旧官幣中社。例大祭は4月第3日曜日の桜祭。
[白山芳太郎]
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…麴(こうじ)
[来歴]
《播磨国風土記》にはカビの生えた乾飯(かれいい)で酒をかもしたという伝承が記載されており,日本では8世紀初頭すでに酒造にこうじが用いられていたことをうかがわせる。古来,酒造の神として信仰を集めてきたのは奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社,京都市の梅宮(うめのみや)大社,松尾(まつのお)大社の3社であった。このうち松尾大社は朝鮮からの渡来氏族秦(はた)氏の氏神として701年奉斎されたが,5世紀後半ころこの地に秦の民が集められたさい伴造(とものみやつこ)に任ぜられた秦酒公(さけのきみ)は酒造技術者であったと考えられ,彼らの指導が古代日本の酒造を育成したと考えられる。…
※「梅宮大社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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