永代橋(読み)エイタイバシ

デジタル大辞泉 「永代橋」の意味・読み・例文・類語

えいたい‐ばし【永代橋】

東京都隅田川に架かる橋の一。中央区新川と江東区永代とを結ぶ。江戸時代赤穂義士が引き揚げに通ったことで知られる。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「永代橋」の意味・読み・例文・類語

えいたい‐ばし【永代橋】

東京都中央区新川と江東区深川を結んで隅田川にかかる橋。赤穂義士の引き揚げや夜鷹(よたか)の出る場所として知られた。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本歴史地名大系 「永代橋」の解説

永代橋
えいたいばし

隅田川下流部の橋。現在は日本橋川南岸の新川しんかわ一丁目と対岸の江東区永代一丁目との間に架かるが、江戸時代には上流寄りの北新堀きたしんぼり町と佐賀さが(現江東区)との間に架されていた。架橋の年次は元禄九年(一六九六)とされ(江戸砂子)、あるいは同一一年ともいう。長さ一一〇間(御府内備考)。架橋以前は深川の大渡とよばれた船渡しであった。橋名は佐賀町の辺りを古来永代島とよんでいたことに由来するが、五代将軍徳川綱吉五〇歳の祝賀をこめたとの説もある。「江戸砂子」は「此橋すぐれて高し。(中略)江府第一の大橋なり。此所大湊にて、万国の廻船これより鉄砲洲へさしてかゝる也。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「永代橋」の意味・わかりやすい解説

永代橋
えいたいばし

隅田川にかかる。東京都中央区新川江東区佐賀を結ぶ。元禄1(1688)年,深川の大渡し(→渡し)に代わって木橋がかけられ,左岸が永代島と呼ばれていたことにちなみ永代橋と名づけられた。その後,洪水による流失が続き,同 11年に徳川綱吉の 50歳の賀を祝して全長 185mの橋が架設されたと伝えられる。文化4(1807)年には富岡八幡宮祭礼時に人波で落橋し,死者 1000人をこえる大惨事が起こった。その後も修復,かけ直しが繰り返され,1897年日本の道路橋では初の鋼トラス橋(→トラス)がかけられたが,床版が木製だったため 1923年に関東大震災で焼損した。1926年,震災復興橋として今日の鋼橋が建設された。橋長 184.7m,最大スパン 100.6m,幅員 22m,主径間は下路式タイドアーチ橋で,このアーチ部材が両側に張り出し,短い単純桁(→単純梁)を支えるカンティレバ片持ち梁)構造となっている。震災復興橋の設計は,復興局の太田円三と,のちに東京大学教授となる田中豊の指導のもとに進められた。優美な清洲橋と対をなすデザインで,男性的で重量感がありながら全体としてやさしさを感じさせるアーチの線をもち,「帝都復興の門」と称された。2007年,都道府県の道路橋として初めて,同じ隅田川の勝鬨橋,清洲橋とともに国の重要文化財指定された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「永代橋」の意味・わかりやすい解説

永代橋 (えいたいばし)

東京都中央区と江東区の間にあり,江戸以来隅田川にかかる橋。1698年(元禄11)に隅田川の4番目の橋として西側の北新堀から深川佐賀町へ架された。当時の深川辺は永代島と総称されていたため,橋名となった。将軍徳川綱吉が50歳となった記念のために架橋されたといわれ,長さ110間余,幅3間余の公儀入用橋である。橋の南側には諸国からの廻船が停泊し,また春秋2回終身刑の囚人が伊豆七島へ送られる流人船の発着所もあった。1719年(享保4)の洪水で破損したため,幕府は廃止を意図したが,町人の要望で再建された。以後橋の維持費は町人負担となり,通行人も2文の橋銭を徴収された。1807年(文化4)8月,深川八幡宮の祭礼に群衆のため橋の一部が落ち多数の犠牲者がでた。2年後新大橋,大川橋とともに三橋会所が改架,修繕を負担することが許された。現在の橋は1926年震災復興事業に改架された鋼アーチ橋で,支間距離100.6m。江戸期より下流にある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「永代橋」の意味・わかりやすい解説

永代橋
えいたいばし

東京都中央区新川と江東区永代を結ぶ隅田川(すみだがわ)の橋。現在の橋は、北方の清洲橋(きよすばし)とともに、関東大震災後(1926)に完工した耐震耐火の橋で、長さ185.2メートル、幅22メートル。最初の架橋は1698年(元禄11)深川の大渡しにかわって架けられたもので、5代将軍徳川綱吉(つなよし)50歳の賀を祝して永代の名をつけたといわれる。赤穂(あこう)義士が引き揚げのときこの橋を渡ったことで有名である。なお江戸時代は大火のつど焼け落ち、台風禍でもたびたび流失したうえ、1807年(文化4)富岡八幡(とみおかはちまん)の祭礼に未曽有(みぞう)の群衆が出て、重さで橋が破れ、1500人余が隅田川に落ちるという惨事をも起こした。このため幕府は廃橋をも考えたが、地元の人たちの懇願で存続した橋でもある。

[菊池万雄]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「永代橋」の意味・わかりやすい解説

永代橋【えいたいばし】

東京都中央区新川と江東区深川永代を結ぶ隅田川下流の橋。昭和初期完工の3径間アーチ橋で,長さ185m,幅22m。1698年,現在より北寄りの北新堀〜永代島(佐賀町)に架橋したのが最初。1807年には深川八幡の祭礼時に橋が落ち多数の死者が出た。
→関連項目隅田川中央[区]

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル大辞泉プラス 「永代橋」の解説

永代橋〔土木遺産〕

東京都中央区にある吊り橋。1925年竣工。隅田川に架かる。隅田川震災復興橋梁群の中核的存在。2000年、土木学会により「帝都を飾るツイン・ゲイト」のひとつとして土木遺産認定

永代橋〔落語〕

古典落語の演目のひとつ。「武兵衛違い」「太兵衛に武兵衛」とも。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

事典 日本の地域遺産 「永代橋」の解説

永代橋

(東京都中央区;東京都江東区)
近代化産業遺産」指定の地域遺産。
国指定重要文化財

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android