梶田半古(読み)カジタハンコ

デジタル大辞泉 「梶田半古」の意味・読み・例文・類語

かじた‐はんこ〔かぢた‐〕【梶田半古】

[1870~1917]日本画家。東京の生まれ。本名、錠次郎。初め四条派、のち南画を学ぶ。写実的な風俗画を得意とし、挿絵でも知られた。門下小林古径前田青邨奥村土牛ら。

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精選版 日本国語大辞典 「梶田半古」の意味・読み・例文・類語

かじた‐はんこ【梶田半古】

  1. 日本画家。本名、錠次郎。東京生まれ。鍋田玉英、鈴木華邨に学び、のち日本美術院に入る。新聞雑誌のさし絵でも知られた。明治三~大正六年(一八七〇‐一九一七

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20世紀日本人名事典 「梶田半古」の解説

梶田 半古
カジタ ハンコ

明治・大正期の日本画家



生年
明治3年6月25日(1870年)

没年
大正6(1917)年4月23日

出生地
東京・下谷長者町

本名
梶田 錠次郎

別名
別名=梶田 英洲

経歴
四条派の鍋田玉英に学び、のち菊池容斎にも私淑し歴史画を研究。明治24年日本青年絵画協会(のち日本絵画協会)、29年日本絵画会、31年日本画会の創立に参加。30年日本美術院の賛助員となり、31年富山県立高岡工芸学校の教師となる。33年帰京し、小説の挿絵などを多く描いて活躍した。写真的な風俗画を得意とし、代表作に「春宵怨」など。

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百科事典マイペディア 「梶田半古」の意味・わかりやすい解説

梶田半古【かじたはんこ】

明治の日本画家。東京生れ。本名錠次郎。初め鍋田玉英,鈴木華邨らに師事,のち日本青年絵画協会を組織して,明治画壇に新風を吹き込んだ。門下に小林古径前田青邨など。小杉天外尾崎紅葉の小説のさし絵でも有名
→関連項目奥村土牛北田薄氷

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朝日日本歴史人物事典 「梶田半古」の解説

梶田半古

没年:大正6.4.23(1917)
生年:明治3.6.25(1870.7.23)
明治大正期の日本画家。金工家梶田政晴の長男。東京下谷生まれ。本名錠次郎。鍋田玉英に四条派を学んだのち,諸派を研究,菊池容斎にも私淑し歴史画を研究した。明治24(1891)年日本青年絵画協会,29年日本絵画協会,31年日本画会の結成に参加。新聞や雑誌の挿絵も数多く手がけ,37年には図案集『若草』を出版。故事,服飾,図案に通じた。日本美術院には,正員ではなく特別賛助員としてやや距離をおいた形で参加したが,半古の門下には,小林古径,前田青邨,奥村土牛ら,のちに日本美術院を背負う多くの作家が育った。代表作「春宵怨」(1902,東京国立博物館蔵)など。

(佐藤道信)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「梶田半古」の意味・わかりやすい解説

梶田半古
かじたはんこ
(1870―1917)

日本画家。本名錠次郎(ていじろう)。東京・下谷の生まれ。初め四条派の鍋田(なべた)玉英、ついで南画の石井鼎湖(ていこ)、さらに菊池容斎門の鈴木華邨(かそん)に師事し、諸派の表現を摂取融合しながら写実を土台とする独自の画風を打ち立てた。1891年(明治24)日本青年絵画協会創立に参加し、のち日本絵画協会、日本美術院で活躍。工芸図案、挿絵でも知られた。後進の育成にも力を尽くし小林古径(こけい)、前田青邨(せいそん)、奥村土牛(とぎゅう)らをその門から出している。代表作に『春宵怨(しゅんしょうえん)』がある。

[原田 実]


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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梶田半古」の解説

梶田半古 かじた-はんこ

1870-1917 明治時代の日本画家。
明治3年6月25日生まれ。鍋田玉英,石井鼎湖(ていこ),鈴木華邨(かそん)にまなぶ。明治24年日本青年絵画協会の結成に参加,のち日本美術院で活躍。「春宵怨(しゅんしょうえん)」など浪漫的な作品を発表。門下から小林古径,前田青邨(せいそん),奥村土牛らがでた。大正6年4月23日死去。48歳。東京出身。名は錠次郎。別号に玉洲。

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367日誕生日大事典 「梶田半古」の解説

梶田 半古 (かじた はんこ)

生年月日:1870年6月25日
明治時代;大正時代の日本画家。富山県立工芸学校教頭
1917年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の梶田半古の言及

【イラストレーション】より

… 1885年に硯友社がおこり,続いて活版印刷による雑誌類が広まるにつれ,挿絵画家としては井上探景(安治),歌川国松らの浮世絵師のほかに,菊池容斎の《前賢故実》の影響をうけた渡辺省亭,三島蕉窓,武内桂舟,尾形月耕らが出た。《文芸俱楽部》《新小説》《都の花》などの挿絵,口絵で活躍し,尾崎紅葉の《金色夜叉》を手がけた武内桂舟(1861‐1943),小杉天外の《魔風恋風》を描いた梶田半古(1870‐1917)が特に人気を集めた。95年から96年にかけて創刊された博文館の《文芸俱楽部》,春陽堂の《新小説》は文壇への登竜門の役割を果たしたが,幕末合巻ものの極彩色錦絵がこれらの巻頭口絵に復活し,両誌は画家にとってもひのき舞台となった。…

※「梶田半古」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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