棚機・織女・七夕(読み)たなばた

精選版 日本国語大辞典 「棚機・織女・七夕」の意味・読み・例文・類語

たな‐ばた【棚機・織女・七夕】

[1] 〘名〙
① はたを織ること。また、その織機や織る人をもいう。その人が女であるところから、「たなばたつめ(棚機津女)」とも。
古事記(712)上・歌謡「天なるや 弟(おと)多那婆多(タナバタ)の 項(うな)がせる 玉の御統(みすまる)
② 旧暦七月七日に織女(しょくじょ)星と、牽牛(けんぎゅう)星をまつること。また、その行事や、織女、牽牛の両星。この夜、天の川両岸に現われる牽牛星織女星が、カササギの翼を延べて橋とし、織女が橋を渡って相会うという中国の伝説が広く行なわれたもの。また、五節供の一つとして、同夜、庭前に供えものをし、葉竹に五色短冊などを飾りつけ、子女が裁縫や書道など技芸の上達を願う祭。もと宮中の節会(せちえ)として行なわれていた中国の乞巧奠(きっこうでん)の行事と、在来の棚機(たなばた)の伝説が結びついたもの。以上のような行事とは別に、日本の農村では広く七夕を盆の一部と考えており、精霊(しょうりょう)様を迎える草の馬を飾り、水辺に出て水浴を行ない、墓掃除、衣類の虫干し、井戸さらえなどをする。七夕祭。星祭。七日盆。《季・秋》
万葉(8C後)八・一五一八題詞「山上臣憶良七夕歌十二首」
※伊勢集(11C後)「たなばたの日 あさまだきいでてひくらんけさのをに心ながさをくらべてしがな」
③ 香木の名。分類は真南蛮(まなばん)。香味は甘辛。六十一種名香の一つ。
※名香目録(1601)「七夕 真南蛮 ききふるめきすずしうして、たまさかなるかほり有」
楊弓(ようきゅう)・大弓(だいきゅう)で、金銭を賭物(かけもの)にするときの七銭をいう。七騎弓(しちきゆみ)。〔類聚名物考(1780頃)〕
⑤ きわめてまれに訪れて来ること。また、その人。七夕客。
源氏(1001‐14頃)東屋「この御有様、かたちを見れば、たなはたばかりにてもかやうに見たてまつり通はむは、いといみじかるべきわざかなと思ふに」
[2]
[一] 特に、織女星をいう。たなばたつめ。
※万葉(8C後)一七・三九〇〇「多奈波多(タナバタ)し船乗りすらし真澄鏡(まそかがみ)清き月夜に雲立ち渡る」
[二] 謡曲。三番目物。廃曲。作者不詳。漢の武帝の勅使は、天上の有様を見るために、筏で川をさかのぼって天の川に至り、牽牛と織女に会い、天上の有様を見る。
[語誌](1)「たな」は水の上にかけだした棚の意とする説が有力。折口信夫は「たなばた供養」の中で「古代には、遠来のまれびと神を迎へ申すとて、海岸に棚作りして、特に択ばれた処女が、機を織り乍ら待って居るのが、祭りに先立つ儀礼だったのである。〈略〉長い習慣のなごりは、伝説となって残って行った。其が、外来の七夕の星神の信仰と結びついたのである」と述べ、「古事記」に見える「おとたなばた」にそのなごりを認めている。「万葉集」の時代には、日本古来の伝説と中国の伝説が混然としていて、「たなばた」も「たなばたつめ」も、地上のものとも天上のものとも区別のつかない表現となって用いられている。
(2)中国の漢詩文では、織女が天の川を渡って牽牛に会いに行くのが一般的であった。しかし古代日本では、男性が女性のもとに通う形が一般的であったため、「万葉集」の七夕を題材にした歌には、織女とするものと、牽牛(彦星)とするものとが混在している。日本的な逢瀬の形に定着するのは、中古に入ってからである。
(3)七月七日の乞巧奠の行事が定着するに従って「懐風藻」や「万葉集」にも「七夕」の字が見られるが、その読みについては「しちせき」か「たなばた」か判然としない。
(4)語源については、古来諸説あり、「田なつもの(田から生ずる物、稲など)はたつもの」の略とする説〔関秘録・草盧漫筆〕、「たな」を「たね(種)」とする説〔東牖子〕、あるいは「た(手)な」とする説〔和句解〕などが見られる。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

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