百科事典マイペディア 「植民地独立付与宣言」の意味・わかりやすい解説
植民地独立付与宣言【しょくみんちどくりつふよせんげん】
→関連項目国際連合
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1960年の国連総会決議。植民地から独立したアフリカ諸国の国連への大量加入を背景にして採択されたこの決議は、人民の自決権の確立を示すものといわれ、次のような内容を規定していた。外国による人民の征服、支配および搾取が国連憲章に違反すること、すべての人民は自決の権利をもつこと、政治的、経済的、社会的または教育的準備が不十分なことをもって独立を遅延する口実としてはならないこと、従属下の人民の独立の権利に対する抑圧手段を停止し、彼らの国土の保全を尊重すること、信託統治地域、非自治地域などの独立のための早急な措置が講ぜられるべきこと、国の国民的統一および領土保全の破壊の企図が国連憲章に違反すること、すべての国家が国連憲章、世界人権宣言および本宣言を遵守すべきこと。翌年に植民地独立付与宣言履行特別委員会が設置された。
[佐分晴夫]
(最上敏樹 国際基督教大学教授 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
…これは,植民地問題は一般に国内問題であるとの憲章起草者の考えを反映したものといえよう。ところが,第2次大戦後,民族自決主義運動の進展にともない,アジア,アフリカやカリブ地域の植民地が相次いで独立し,国連に加盟すると,国連の場で植民地主義の是非が論ぜられるようになり,1960年の総会は,歴史的な〈植民地独立付与宣言〉を採択した。この決議は,信託統治地域,非自治地域を問わず,あらゆる形の植民地制度をできるだけ速やかに,かつ無条件で終わらせることを宣言して,人民の自決権を承認し,独立達成に必要な措置をとるよう要請したものである。…
…二つの世界大戦はその傾向を加速し,第2次大戦後には植民地の政治的独立が急速に進んだ。とくに〈アフリカの年〉と呼ばれた1960年には国連総会は〈植民地独立付与宣言〉を採択し,それに前後して数多くのアフリカの独立国が生まれた。このような植民地独立への流れは今日まで続いており,70年代には南太平洋やカリブ海の島々が独立してミニ国家をつくる動きが目だった。…
…結局,スペインが情報送付に同意したのに対し,ポルトガルは拒否し続けたので,60年,国連総会は,アンゴラ,モザンビーク,マカオなどを非自治地域とみなす決議を採択した。同年,総会は,植民地独立付与宣言をも採択した。これは非自治地域に関する国連の新しい役割の始まりを示したが,同宣言を履行するため,幅広い責任をもつ特別委員会が,翌61年に設立された。…
※「植民地独立付与宣言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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