植民地独立付与宣言(読み)しょくみんちどくりつふよせんげん(その他表記)Declaration on the Granting of Independence to Colonial Countries and Peoples

百科事典マイペディア 「植民地独立付与宣言」の意味・わかりやすい解説

植民地独立付与宣言【しょくみんちどくりつふよせんげん】

1960年の第15回国連総会で,アジア・アフリカ43ヵ国による共同提案が採択されたもので,前文および7項からなる宣言。〈いかなる形式・表現を問わず植民地主義を急速かつ無条件に終結せしめる必要がある〉との認識に立って,第2項においては民族自決権をうたい,第5項において〈信託統治地域および非自治地域またはまだ独立達成していない他のすべての地域において,これら地域の住民が完全な独立と自由〉を無条件に達成するために早急な措置を講じなければならない,と宣言した。これを受けて信託統治地域または非自治地域の独立を実際に推進するため〈植民地独立付与宣言履行特別委員会〉が翌1961年に発足し,非植民地化の推進力となってきた。信託統治は1994年10月のベラウパラオ)の独立ですべて終結。残る非自治地域でこの宣言の対象となっているのはニューカレドニアなど南太平洋地域を中心に17地域。国連は1990年―2000年を〈国際植民地主義撤廃の10年〉と定め,非自治地域の非植民地化に取り組んでいる。→植民地
→関連項目国際連合

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「植民地独立付与宣言」の意味・わかりやすい解説

植民地独立付与宣言
しょくみんちどくりつふよせんげん
Declaration on the Granting of Independence to Colonial Countries and Peoples

1960年 12月,国連総会がアジア・アフリカ諸国の決議案を採択 (賛成 89,反対0,棄権9) した,植民地主義をすみやかに終結させるための宣言。この宣言は,(1) 外国による征服支配搾取が基本的人権を否認し,国連憲章に違反し,世界平和と協力の促進に障害となっていること,(2) すべての人民は自決の原則をもつこと,(3) 政治的,経済的,社会的,教育的準備の不十分なことをもって独立を遅らせてはならないこと,(4) 独立運動を武力で抑圧してはならないこと,(5) すべての権力を住民に委譲するため早急な措置がとられるべきことを規定している。翌 61年の総会は,あらゆる形態の植民地主義の早急な廃絶を目指し,「植民地独立付与宣言履行特別委員会」を設置している (17ヵ国で構成,1962年から 24ヵ国に拡大) 。これは非植民地化特別委員会 (Special Committee on Decolonization) とも呼ばれ,宣言の履行状況を報告するため,質問書を発送し,請願を受理し,調査団を派遣する。宣言以来,90年のナミビア独立までに約 60の植民地が独立した。国連総会は 1990~2000年を「植民地主義廃絶の 10年間」に指定している。特別委員会は 18の植民地を対象としているが,その大部分はカリブ海や太平洋の小さな島国である。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「植民地独立付与宣言」の意味・わかりやすい解説

植民地独立付与宣言
しょくみんちどくりつふよせんげん
Declaration on the Granting of Independence to Colonial Countries and Peoples

1960年の国連総会決議。植民地から独立したアフリカ諸国の国連への大量加入を背景にして採択されたこの決議は、人民の自決権の確立を示すものといわれ、次のような内容を規定していた。外国による人民の征服、支配および搾取が国連憲章に違反すること、すべての人民は自決の権利をもつこと、政治的、経済的、社会的または教育的準備が不十分なことをもって独立を遅延する口実としてはならないこと、従属下の人民の独立の権利に対する抑圧手段を停止し、彼らの国土の保全を尊重すること、信託統治地域、非自治地域などの独立のための早急な措置が講ぜられるべきこと、国の国民的統一および領土保全の破壊の企図が国連憲章に違反すること、すべての国家が国連憲章、世界人権宣言および本宣言を遵守すべきこと。翌年に植民地独立付与宣言履行特別委員会が設置された。

[佐分晴夫]

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知恵蔵 「植民地独立付与宣言」の解説

植民地独立付与宣言

国際信託統治制度に組み込まれない植民地も数多く残る。このうちかなりの部分は国連によって非自治地域とされ、自治や独立の達成を待つ。特にこうした非自治地域の独立を念頭において、1960年に総会決議として採択されたのがこの宣言で、外国による支配と搾取の違法性、人民の自決の権利などをうたう。現在、16地域が対象。

(最上敏樹 国際基督教大学教授 / 2007年)

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世界大百科事典(旧版)内の植民地独立付与宣言の言及

【国際連合】より

…これは,植民地問題は一般に国内問題であるとの憲章起草者の考えを反映したものといえよう。ところが,第2次大戦後,民族自決主義運動の進展にともない,アジア,アフリカやカリブ地域の植民地が相次いで独立し,国連に加盟すると,国連の場で植民地主義の是非が論ぜられるようになり,1960年の総会は,歴史的な〈植民地独立付与宣言〉を採択した。この決議は,信託統治地域,非自治地域を問わず,あらゆる形の植民地制度をできるだけ速やかに,かつ無条件で終わらせることを宣言して,人民の自決権を承認し,独立達成に必要な措置をとるよう要請したものである。…

【植民地】より

…二つの世界大戦はその傾向を加速し,第2次大戦後には植民地の政治的独立が急速に進んだ。とくに〈アフリカの年〉と呼ばれた1960年には国連総会は〈植民地独立付与宣言〉を採択し,それに前後して数多くのアフリカの独立国が生まれた。このような植民地独立への流れは今日まで続いており,70年代には南太平洋やカリブ海の島々が独立してミニ国家をつくる動きが目だった。…

【非自治地域】より

…結局,スペインが情報送付に同意したのに対し,ポルトガルは拒否し続けたので,60年,国連総会は,アンゴラ,モザンビーク,マカオなどを非自治地域とみなす決議を採択した。同年,総会は,植民地独立付与宣言をも採択した。これは非自治地域に関する国連の新しい役割の始まりを示したが,同宣言を履行するため,幅広い責任をもつ特別委員会が,翌61年に設立された。…

※「植民地独立付与宣言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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