コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

平忠常 たいらのただつね

8件 の用語解説(平忠常の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

平忠常
たいらのただつね

[生]康保4(967)
[没]長元4(1031).6.6. 美濃,野上
平安時代中期の武将。父は経明,また忠頼ともいう。上総介,武蔵押領使。父祖以来,下総,上総に大勢力を築き,長元1 (1028) 年安房に侵入して国守惟忠を殺し,以後3年の間その権力を維持した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

たいら‐の‐ただつね〔たひら‐〕【平忠常】

[967~1031]平安中期の武将。高望(たかもち)の曽孫。法名、常安。上総介(かずさのすけ)・武蔵押領使(むさしおうりょうし)を歴任。長元元年(1028)内乱を起こしたが、源頼信の討伐に降伏し、護送上洛の途中美濃で病死。千葉氏・上総氏の祖。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

平忠常【たいらのただつね】

平安中期の武将。忠頼の子。鎮守府(ちんじゅふ)将軍平良文(よしぶみ)の孫。父祖代々東国に勢力を張ったため上総介(かずさのすけ)などとなった。1028年内乱を起こしたが,源頼信に降伏し,上洛(じょうらく)途中美濃で病死。
→関連項目上総国下総国平氏源頼信

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

平忠常 たいらの-ただつね

967-1031 平安時代中期の武人。
康保(こうほう)4年生まれ。平忠頼の子。房総半島の豪族。長元元年安房(あわ)(千葉県)の国守をほろぼして上総(かずさ)(千葉県)の国府を占領。追討使平直方に3年間抵抗をつづけたが,かわりの追討使源頼信とはたたかわず降伏。京都へ護送される途中の長元4年6月6日美濃(みの)(岐阜県)で病没した。65歳。法名は常安。名は忠恒ともかく。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

平忠常

没年:長元4.6.6(1031.6.28)
生年:生年不詳
平安中期の東国の武士。忠恒とも書く。陸奥介忠頼の子。父祖以来の東国に土着し,上総(千葉県),下総(千葉県,茨城県)の国司や武蔵国の押領使を経験しながら勢力を拡大した。万寿4(1027)年に下総の国衙を襲い,次いで安房(千葉県)の国守を焼き殺して房総半島を手中におさめ国家に反した。朝廷では平直方を追討使に任命して下向させたがこれには従わなかったものの,甲斐守源頼信に代えたところ即座に降伏し,京都へ護送される途中,病に罹り美濃国(岐阜県)において死んだ。『今昔物語集』には以前頼信と事を構えて敗れた忠常が名簿を差し出して家人になったという話がある。子らは処罰を免れ頼信の家人になったという。子孫は上総氏,千葉氏として発展した。

(朧谷寿)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

たいらのただつね【平忠常】

967‐1031(康保4‐長元4)
平安時代中期の武将。忠恒,忠経とも書く。桓武平氏陸奥介平忠頼(経明)の子。祖父は鎮守府将軍平良文。父祖伝来の地下総国相馬郡を本拠とし,上総,下総,常陸に所領を拡大し,公事を勤めず国守の命令にも従わなかったという。1028年(長元1)安房守惟忠焼死事件が起き,朝廷は平直方を追討使として東国に派遣したが鎮圧は失敗におわった。この間ほぼ3年にわたって忠常は房総地方に権力をふるったが,領土の荒廃もはげしかった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

たいらのただつね【平忠常】

?~1031) 平安中期の武将。良文の孫。上総・下総に勢力をふるい、反乱を起こした。千葉氏・上総氏の遠祖。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

平忠常
たいらのただつね
(?―1031)

平安中期の武将。父は平良文(よしぶみ)の子忠頼(ただより)。上総介(かずさのすけ)、下総権介(しもうさのごんのすけ)、また武蔵国押領使(むさしのくにおうりょうし)と伝える。房総半島の各地に屋敷をもつ巨大な私営田領主で、1028年(長元1)に安房守惟忠(あわのかみこれただ)を焼き殺し、上総国府を占拠して反乱。朝廷は平直方(なおかた)を追討使に任じたが鎮圧できず、源頼信(よりのぶ)に交代させた。忠常は一戦も交えずに降伏、出家して昌安と称したが、京都への護送途中に美濃(みの)国(岐阜県)野上で死去、その首が京都に送られた。子孫は許され、上総氏、千葉氏などとして房総で栄える。『今昔(こんじゃく)物語』の忠常追討説話は、反乱以前の頼信の常陸(ひたち)国守時代の史実を反映するものと考えられ、頼信との間に早くから主従関係が存在した事実を示すものとみられる。[福田豊彦]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

平忠常の関連キーワード比喜多松斎平国香平直方扶桑集兀良哈武士団碓井貞光平忠頼平致経松尾駿淵

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

平忠常の関連情報