改訂新版 世界大百科事典 「楽市令」の意味・わかりやすい解説
楽市令 (らくいちれい)
主として16世紀後半,戦国大名および織豊政権が,地方市場,新設の城下町に出した法令。楽市令は大別して次の2種に分けられる。ひとつは,15,16世紀に新しく登場した地方市場で,寺内町(じないちよう)に代表されるような,すでに,楽市場として存在していた市場に,その楽市の機能を保証した,いわば保証型楽市令である。この型に属する楽市令としては,織田信長の永禄10年(1567)美濃加納あて楽市令,元亀3年(1572)近江金森あて楽市令,後北条氏の天正13年(1585)相模荻野あて楽市令などがある。もうひとつは,このような既存の楽市場の形態を前提にして,新城下町,新市場の楽市化による繁栄を目的に発布した政策型楽市令である。このタイプのものとしては,徳川家康の永禄12年(1569)三河小山新市あて楽市令,織田信長の天正5年(1577)安土城下あて楽市令,後北条氏の天正6年(1578)武蔵世田谷新宿あて楽市令などが有名である。
次に保証型楽市令の条項から本来の楽市場の機能をみると,(1)大名権力などの介入を許さない不入権を保持すること,(2)市場の平和を保つためあらゆる暴力行使が禁止されていること,(3)楽市場の住人の通行安全を保証し,通行税が免除されていること,(4)完全な免税地として存在すること,(5)独占的な販売を行う市場の座(市座)や問屋などの存在を認めない楽座であること,(6)領主の年貢を滞納している者も,他人の債務を負っている者も,それらの関係が消滅し,追及されない場であること,(7)奴隷も市場住人となることによって,身分が解放されること,などの特性がみられる。これらを通して楽市場の基本的性格を考えるならば,あらゆる俗世間的な縁,絆(きずな)が切れる〈縁切り〉の原理が貫いている場であると規定できる。このようにあらゆる権力の支配,社会の規制から自由であることを社会的に承認されていた楽市場は,中世の自由都市,自治都市成立の原点を占める存在であり,当時十楽(極楽)の津(港)と呼ばれた伊勢桑名は,自治都市として権力の支配を拒否していた。事実,中世の自由都市,自治都市を代表する堺や博多も楽市ないしは楽津と呼ばれる存在であったことは,1587年豊臣秀吉が博多に出した法令が,楽市という言葉はないものの,その内容はまったく保証型楽市令と同じものであったことからも確認される。ところで,このような権力と無縁の存在である楽市場が,その機能を楽市令というかたちで権力に保証されたり,さらに権力によって利用されたりするということは,すでに本来の楽市としての性格を放棄したことを意味する。すなわち,楽市場は,戦国大名などの権力の浸透によって把握されることによって,楽市令というかたちでその存在が姿を現すとともに,同時にそれは本来的意味での楽市場の消滅であったのであり,楽市場を前提にした楽市令もその後まもなく姿を消してしまうのである。
執筆者:勝俣 鎮夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報