日本歴史地名大系 「横須賀城跡」の解説
横須賀城跡
よこすかじようあと
〔築城前後〕
天正六年(一五七八)七月三日、徳川家康の家臣松平家忠は「よこすか取出場」に着き、翌日から普請を開始、一五日に完成をみて、一六日に三河国に帰っている(家忠日記)。ただしこの普請は本格的な築城前のことで、場所も現在の
高天神城の陥落によって横須賀城の軍事的要塞としての意義は失われたが、家康は海上交通上の要衝にあった当城に引続き大須賀(のち松平姓となる)康高を配置し、横須賀周辺諸村(三万石)を領知させた。天正一六年康高没後は養子の忠政(上野館林藩主榊原康政次男)が継ぐが、同一八年に家康の関東移封に伴い、忠政も同一九年上総国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報