日本古代の8世紀後半から9世紀中ごろにかけて,主として東国を中心に頻発した不審火による火災。正倉を焼亡させた場合が多く,国分寺にもおよんでいる。初見は763年(天平宝字7)で,同年9月1日の勅に〈疫死数多く,水旱時ならず。神火屢しば至って,徒に官物を損す。此れは,国郡司等国神に恭(うやうや)しからざるの咎なり〉とある。当初,政府は天災として処理していたが,のち被害が増大するにしたがい,国郡司らの解任や処罰,責任者による損害の補てんなどの対抗処置をとった。神火の原因は,郡司職の争奪をめぐって一族内部の競争相手を失脚させるため正倉に放火する場合や,正税の虚偽の納入をかくすために放火する場合などがあり,時代が降るにしたがって後者の事例が多いとされている。また835年(承和2)には,武蔵国分寺が神火により焼失したが,この前後に起こった遠江,相模,伊豆等の国分寺・尼寺の火災も神火によるものではなかったかとする見方もある。
→放火
執筆者:原 秀三郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
奈良末期から平安初期にかけて東国を中心に発生した、国衙(こくが)・郡衙正倉および収納穀(正税)への放火事件。史料的に確認されるものに、下総国(しもうさのくに)猨嶋(さしま)郡、武蔵(むさし)国入間(いるま)郡、下野(しもつけ)国、上野(こうずけ)国緑野(みどの)郡、陸奥(むつ)国行方(なめかた)郡、上総(かずさ)国夷隅(いすみ)郡、常陸(ひたち)国新治(にいはり)郡などの例がある。神火発生の原因については、郡司らが農民の未納をかばい在地における支配を維持するために火を放ったとするもの、豪族同士が郡司職をめぐって争い、現任郡司のおちどをつくるために、あるいは国司・郡司が自らの横領を隠蔽(いんぺい)するために火を放ったとするものなど、さまざまな解釈がある。いずれにせよ、当時の東国は律令(りつりょう)国家の東北出兵(蝦夷(えぞ)征討)の後方兵站(へいたん)の役割を負わされており、その過重な負担が神火発生の一原因であったことは否めない。
[矢野建一]
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…これらの正倉は一地域に相接して並んで建造されている例が多く,政府は火事にそなえて791年(延暦10)以降は,新しく造る倉は10丈以上離すように指導したがあまり守られなかったようである。8世紀後半以降,東国を中心に正倉に放火して神火(じんか)により消失と称するケースが頻繁に起きるが,その多くは管理する立場にある国郡司らが収納物を着服したことを隠したり,競争相手を失脚させるためにしくんだものであった。律令制の衰退とともに平安時代の末期以降は正倉の語はほとんど用いられなくなった。…
…政治的陰謀に起因する放火もあり,866年(貞観8)の応天門の炎上は,大納言伴善男(とものよしお)が左大臣源信(みなもとのまこと)を失脚させる目的で,放火したのであった。8世紀後半から9世紀にかけて神火(じんか)と称される国郡正倉の火損事件がしきりに起こっているが,それは虚納その他の不正を隠蔽するため,国郡司らが放火した人火によるものが大半であった。律では雑律に放火を禁止する規定があり,故焼官府廨舎条では,官府や私家舎宅ないし財物を故焼すると徒(ず)3年に処すとしている。…
※「神火」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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