日本大百科全書(ニッポニカ) 「武左衛門一揆」の意味・わかりやすい解説
武左衛門一揆
ぶざえもんいっき
1793年(寛政5)伊予国(愛媛県)吉田藩(宇和島藩の分家で3万石)で紙専売制に反対して起こった百姓一揆。指導者の上大野村(現鬼北(きほく)町)百姓武左衛門は、祭文(さいもん)語りに身をやつして組織にあたったといわれる。吉田藩紙騒動ともいう。当藩は貢租の収奪が厳しく農民の疲弊も宇和島藩の比ではなかったが、とくにこの一揆の7年前にも、天明大飢饉(てんめいだいききん)で困窮していた農民救済のため、神官の土居式部(どいしきぶ)が農民を蹶起(けっき)させようとして失敗した式部騒動が起こったが、藩は苛政(かせい)を緩めなかった。その後とくに藩の紙専売制に寄生していた法華津屋(ほけづや)などの高利貸商人は、困窮農民に楮元銀(こうぞもとぎん)を貸し付け、紙を安価に見積もって返済させて巨利を得ていた。藩役人も高利貸商人に癒着して私腹を肥やし、厳しい収奪を続けたので、2月9日に蜂起(ほうき)した農民は、全藩83か村のうち80か村5000人に及び、郡奉行(こおりぶぎょう)の制止を抑えて宇和島藩領に逃散(ちょうさん)したときは、参加人員8000になっていた。ついに宇和島藩の仲介で農民側の要求はいれられ専売制も緩和されたが、指導者の武左衛門は翌年捕らえられ処刑された。
[三好昭一郎]
『景浦勉著『伊予農民騒動史話』(1972・愛媛文化双書刊行会)』