求菩提山(読み)クボテサン

デジタル大辞泉 「求菩提山」の意味・読み・例文・類語

くぼて‐さん【求菩提山】

福岡県東部、豊前ぶぜん市と築上ちくじょう郡築上町の境にある山。標高782メートル。古くから山岳信仰の山として知られ、山伏の修験しゅげん道場として栄えた。多くの遺跡が残っており、山頂には国玉くにたま神社がある。国の史跡に指定され、耶馬日田英彦山やばひたひこさん国定公園に属する。山名の由来は仏典中のことば「菩提ぼだいを求める」から。五窟ごくつ岳。

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日本歴史地名大系 「求菩提山」の解説

求菩提山
くぼてさん

豊前市の南西端部、築上ちくじよう築城ついき町との境界にある山。標高七八二メートル。いぬヶ岳西部のいちノ岳から北側に延びる尾根に連なる帽子様の独特の形態をした峰で、山岳信仰の中心地の一つ。古代以来の修験道の山として知られる。一ノ岳から当山に連なる尾根を構成する基盤岩類は、邪馬渓層とほぼ同時期の鮮新世初期(約五〇〇万年前頃)の集塊岩類からなる。当山山頂はこの集塊岩層を貫いておよそ四〇〇万年前頃に犬ヶ岳から英彦ひこ山付近で噴出した筑紫溶岩系安山岩類の活動に由来するものと考えられる。当山周辺の尾根は犬ヶ岳付近から放射状に広がる浸食谷である岩岳いわたけ川と城井きい川によって深く開析されている。これらの放射谷の起源は、かつて形成されていた規模の大きな火山山麓扇状地の谷にある可能性が高い。当山の山頂部分も溶岩ドームとして形成された火山山体そのものではなく、噴出した安山岩質溶岩が浸食されて形成されたビュート状の地形である。当山を含む筑紫ちくし山地東部を構成する山塊は英彦山山地あるいは英彦山火山地と称され、筑紫山地では最も急峻である。鮮新世の火山岩の急峻な浸食地形が岩窟などを形成し、修験道の山として尊重されるようになる自然的な基を作っている。

〔古代・中世〕

 養老四年(七二〇)行善が鎮護国家の道場として山中に堂社を建て、求菩提山護国寺を開いたとされる(求菩提山雑記)。保延年間(一一三五―四一)に豊前辛島からしま(現大分県宇佐市)の天台僧頼厳が護国寺を復興し、当山修験道の基礎を確立した。大永年間(一五二一―二八)に山中の普賢ふげん窟から発見され大内氏に上覧された銅板法華経(銅筥とともに国宝、九州歴史資料館蔵)には大勧進僧として頼厳の名がみえ、康治元年(一一四二)一〇月二一日銘がある。鎌倉期の当山の様子は不明な点が多い。正平四年(一三四九)権律師厳正・阿闍梨大賢・大工上毛こうげ郡田広村忠家・沙弥聖観らによって、当山へ神輿が奉納され、同一五年には藤原種継が当山上宮御宝前に鰐口を施入している。応永二一年(一四一四)阿闍梨幸全・律師定清らが当山へ神輿を奉納し、大旦那一和尚長清が大般若経を当山白山権現宝前に施入。同二六年には権律師長清が大乗経全部を唐櫃に入れて施入し、当山下宮宝殿に安置している(以上「求菩提山捜古録」)。一方で、南北朝期以降当山領は近隣の如法寺氏によって押領された。

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改訂新版 世界大百科事典 「求菩提山」の意味・わかりやすい解説

求菩提山 (くぼてやま)

福岡県東部にある山。耶馬渓溶岩台地が開析されたもので,標高782m。耶馬日田英彦山(やばひたひこさん)国定公園に含まれる。五窟岳ともいい,英彦山,宝満山とともに九州地方の代表的な修験道の山である。縁起では猛覚卜仙(もうかくぼくせん)を開祖とし,行善が白山権現を勧請し求菩提山護国寺や大日窟をはじめ5窟を開き,平安後期に頼厳(らいげん)によって再興されたという。この頼厳は延暦寺座主となった行尊に修験道を学び,求菩提山では千日行をおこし護国寺の再興,宝塔の建立などに尽力した人物とされ,康治1年(1142)銘の銅板法華経,保延6年(1140)銘の経筒などに願主・大勧進としてその名がみえる。求菩提山の特色の一つは経塚や遺物が多いことで,経筒・経塚の形態や岩窟納経など独特の様式を伝えている。また六峯,六院,六谷,六哲などと称していることも特色の一つである。六峯とは求菩提山を取り囲む飯盛山,松尾山などの6峯を指す。近世の求菩提山は聖護院の支配下に属していたが,1699年(元禄12)の松尾山独立をはじめとして聖護院の教線拡大や地方霊山の再編がみられることも注目される。
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国指定史跡ガイド 「求菩提山」の解説

くぼてさん【求菩提山】


福岡県豊前市求菩提・篠瀬・鳥井畑ほか、築上郡築上町寒田にある寺院跡。福岡県東部、瀬戸内海の周防(すおう)灘に面し、大分県と県境を接する豊前市に所在する標高782mの山で、平安時代後期以降全国的に展開した修験道の山の一つである。おもな遺跡としては、山の8合目に山門・講堂・山王社・常行堂・浮殿などをもつ護国寺があったとされ、山頂には磐座(いわくら)のような巨石群があり、この周辺の発掘調査で多くの経塚が確認された。また、山内には修験道遺跡の特徴である修行のための窟が多数所在し、求菩提五窟といわれる大日窟(金剛窟)・普賢窟(胎蔵窟)・多聞窟・吉祥窟・阿弥陀窟や不動窟・弁財天窟などが確認されている。普賢窟から発見された33枚の銅板法華経(縦21cm、横18cm、厚さ2mm)は、これが納められていた銅筥とともに国宝になっている。坊中と呼ばれる修験者の集落も、上谷・杉谷・南谷・西谷・中谷・北谷・下谷の7ヵ所あり、山の斜面を階段状に切り開き、石組みで築かれている。現在は1坊を残すだけだが、求菩提山は修験道の豊富な遺跡を抱え、求菩提資料館に展示される出土遺物や文字資料からも、当時の活動をうかがうことができることから、2001(平成13)に国の史跡に指定された。JR日豊本線宇島駅から市バス「求菩提山登山口」下車、徒歩約1時間。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「求菩提山」の意味・わかりやすい解説

求菩提山
くぼてやま

福岡県豊前市(ぶぜんし)と築上(ちくじょう)郡築上町の境にある山。標高782メートル。耶馬日田英彦山(やばひたひこさん)国定公園の北西部に位置し、耶馬渓溶岩台地の一部で、古くから山岳信仰の霊山として開山され、山伏の修験(しゅげん)道場として発達した。山中には求菩提五窟(くぼてごくつ)と称する普賢(ふげん)窟、多聞(たもん)窟をはじめ、鬼石坊(おにしぼう)跡、座主(ざす)屋敷跡、納経所跡など多くの遺跡が残っており、国玉神社(くにたまじんじゃ)が山頂に鎮座する。2001年(平成13)国の史跡に指定された。求菩提修験道に関する資料を展示した求菩提資料館がある。現在はハイキング客が多い。豊前市のJR日豊(にっぽう)本線宇島(うのしま)駅から資料館前までバス約40分、下車後徒歩30分。

[石黒正紀]

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事典・日本の観光資源 「求菩提山」の解説

求菩提山

(福岡県豊前市)
福岡県文化百選 名勝・景観編」指定の観光名所。

求菩提山

(福岡県豊前市)
福岡県文化百選 歴史散歩編」指定の観光名所。

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