政治家。東京都生まれ。曾祖父の衆議院議長鳩山和夫に始まる政治家一族に生まれ、祖父は首相鳩山一郎、父は外相鳩山威一郎(いいちろう)(1918―1993)。総務相などを務めた鳩山邦夫(くにお)(1948―2016)は弟。また母方の祖父はブリヂストン創業者の石橋正二郎(しょうじろう)。1965年(昭和40)東京大学工学部に入学し経営工学を専攻。卒業後はスタンフォード大学大学院に進み同大でPh.D.(博士号、Doctor of Philosophy)を取得した。専修大学経営学部助教授を務める。1986年旧北海道4区から自由民主党(自民党)公認で衆議院議員選挙に出馬して当選。小選挙区制導入後は北海道9区に移り、初当選から引退するまで、連続8期当選を果たした。
自民党では田中派に属したが、1993年(平成5)6月に離党。武村正義(たけむらまさよし)(1934―2022)らと新党さきがけを結党し幹事長に就任した。同年8月、細川護熙内閣(ほそかわもりひろないかく)の官房副長官(政務担当)となる。1996年9月、菅直人(かんなおと)らと民主党を結党、菅とともに共同代表、翌1997年幹事長に就任。1998年4月には新進党を離れたグループなどとの合流により新たに民主党が結党され、幹事長代理に就任した。1999年9月代表に就任。2002年(平成14)12月、自由党との提携をめぐる党内の混乱の責任をとって代表を辞任した。2005年9月前原誠司(まえはらせいじ)(1962― )代表の下で幹事長、さらに2006年4月小沢一郎代表の下でも幹事長に留任した。小沢代表、菅代表代行とのトロイカ体制で政権交代を目ざしたが、2009年5月に小沢が西松建設からの献金疑惑問題で代表を辞任すると幹事長を辞任。その後の代表選に出馬、岡田克也(おかだかつや)(1953― )を破り代表に就任した。その岡田を幹事長に起用し、小沢を選挙担当の代表代行に据えて総選挙での勝利と政権交代を目ざした。2009年8月の総選挙で308議席を獲得して政権交代を実現、9月に第93代内閣総理大臣に就任し、社会民主党(社民党)、国民新党との連立で鳩山由紀夫内閣を発足させた。就任直後には「脱官僚依存」を強調し、むだ遣いの排除による2009年度補正予算の見直しと2010年度予算の編成、子ども手当の創設などの民主党のマニフェスト実現を表明した。同年9月の国連総会に出席し、温室効果ガスの削減問題では2020年までに1990年との比較で25%減という目標を表明して国際的な注目を集めた。
豊富な政治家人脈と政界きっての資産家といわれるほどの資金力で1990年代以降の政界再編では中心的人物の一人で、民主党結党時には相当の資金提供をしたといわれている。しかし母親からの資金提供や政治資金収支報告書の虚偽記載など自らの政治資金問題、また沖縄の普天間(ふてんま)基地移設問題での発言のぶれが国民の批判を招き、内閣支持率が低下するなか2010年6月に首相を辞任した。2012年政界を引退。
[伊藤 悟]
『北海道新聞社編・刊『鳩山由紀夫事典――道新記者が徹底解剖』(2009)』▽『森省歩著『鳩山由紀夫と鳩山家四代』(中公新書ラクレ)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
… その後,細川,羽田孜の非自民連立政権を経て,94年6月に自民,社会,さきがけの3党による村山富市連立政権が成立し,自民党は政権に復帰したが,政党配置図の変転はさらに続いた。まず,94年12月に新生党,日本新党,公明党,民社党が合体して,新進党が結成され,96年1月には自民党主導の橋本竜太郎政権が成立し,同年9月には,さきがけと社民党(1996年1月に社会党は党名を変更)からの離党者を軸に鳩山由紀夫,菅直人を双頭のリーダーとして民主党が作られた。このような政党配置図の変転をさらに刺激したのが,政治改革の一つの成果として94年に導入された衆院議員選挙のための小選挙区比例代表並立制(〈比例代表制〉の項を参照)にほかならない。…
※「鳩山由紀夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新