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鳩山由紀夫 はとやまゆきお

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鳩山由紀夫
はとやまゆきお

[生]1947.2.11. 東京,文京
政治家。内閣総理大臣(首相。在任 2009~2010)。元外務大臣鳩山威一郎の長男として生まれた。曽祖父鳩山和夫は衆議院議長,祖父鳩山一郎自由民主党の初代総裁。1969年東京大学工学部を卒業,1976年アメリカ合衆国のスタンフォード大学博士課程を修了した。その後,専修大学助教授を務めていたが,1986年衆議院選挙に自由民主党から出馬して初当選し,政界に転ずる。1993年自民党を離党し,新党さきがけを結成。細川護煕非自民連立政権で内閣官房副長官に就任。1996年新党さきがけを離党後,民主党を結成,菅直人と共同代表になる。1998年同党に民政党など 3党が合流して新たな民主党を結成して幹事長代理に就任,1999年に代表となる。翌 2000年再選,2002年 3選されたが自由党との合流構想に党内が反発して代表を辞任,自由党合流後,2005年幹事長,2009年代表の座につく。2009年8月の衆議院選挙で民主党が単独過半数(241議席)を大幅に上回る 308議席を獲得し,9月に第93代,60人目の首相に就任した。2010年6月,沖縄県のアメリカ軍普天間飛行場移設問題で社会民主党の連立政権離脱を招いて窮地に立たされ,党代表・首相職を辞した。

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デジタル大辞泉の解説

はとやま‐ゆきお〔‐ゆきを〕【鳩山由紀夫】

[1947~ ]政治家。東京の生まれ。祖父は鳩山一郎。父の威一郎は元外相。東大工学部を卒業後、専修大助教授などを経て、昭和61年(1986)に自民党衆議院議員に当選。平成5年(1993)に離党し新党さきがけに参加、細川護煕内閣で官房副長官となる。平成8年(1996)に民主党を、平成10年(1998)に民主党を結成し、たびたび代表を務める。平成21年(2009)の総選挙で自民党に圧勝し首相となる。平成22年(2010)6月、米軍普天間飛行場移設問題をめぐる混乱、および社民党の連立政権離脱を招いた責任を取って辞任。→菅直人

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百科事典マイペディアの解説

鳩山由紀夫【はとやまゆきお】

政治家。東京都生れ。東大工学部卒。スタンフォード大学でPh.D.を取得。祖父鳩山一郎は首相,父威一郎は外務大臣。1986年自由民主党から衆議院議員に当選。1993年自民党を離党し新党さきがけに参加。
→関連項目岡田克也

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鳩山由紀夫 はとやま-ゆきお

1947- 昭和後期-平成時代の政治家。
昭和22年2月11日生まれ。鳩山一郎の孫。鳩山威一郎の長男。鳩山邦夫の兄。アメリカ留学後,専修大助教授となる。昭和61年自民党から衆議院議員に初当選(当選8回)。平成5年新党さきがけに参加。8年民主党の結成にくわわり,菅直人(かん-なおと)と2人代表,9年の新体制で幹事長,11年代表。21年小沢一郎代表の辞任にともなう代表選挙で岡田克也をやぶり民主党代表に復帰。同年総選挙で圧勝して政権交代をはたし,93代首相に就任した。しかし,22年6月米軍普天間飛行場の移設問題や政治とカネの問題で辞任。24年衆院選不出馬を決め引退。東京都出身。東大卒。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鳩山由紀夫
はとやまゆきお
(1947― )

政治家。東京都生まれ。曾祖父の衆議院議長鳩山和夫に始まる政治家一族に生まれ、祖父は首相鳩山一郎、父は外相鳩山威一郎(いいちろう)。総務相などを務めた鳩山邦夫(くにお)は弟。また母方の祖父はブリヂストン創業者の石橋正二郎(しょうじろう)。1965年(昭和40)東京大学工学部に入学し経営工学を専攻。卒業後はスタンフォード大学大学院に進み同大でPh.D.(博士号、Doctor of Philosophy)を取得した。専修大学経営学部助教授を務める。1986年旧北海道4区から自由民主党(自民党)公認で衆議院議員選挙に出馬して当選。小選挙区制導入後は北海道9区に移り、初当選から連続8期当選(2010年時点)を果たしている。
 自民党では田中派に属したが、1993年(平成5)6月に離党。武村正義(たけむらまさよし)らと新党さきがけを結党し幹事長に就任した。同年8月、細川護熙内閣(ほそかわもりひろないかく)の官房副長官(政務担当)となる。1996年9月、菅直人(かんなおと)らと民主党を結党、菅とともに共同代表、翌1997年幹事長に就任。1998年4月には新進党を離れたグループなどとの合流により新たに民主党が結党され、幹事長代理に就任した。1999年9月代表に就任。2002年(平成14)12月、自由党との提携をめぐる党内の混乱の責任をとって代表を辞任した。2005年9月前原誠司(まえはらせいじ)代表の下で幹事長、さらに2006年4月小沢一郎代表の下でも幹事長に留任した。小沢代表、菅代表代行とのトロイカ体制で政権交代を目ざしたが、2009年5月に小沢が西松建設からの献金疑惑問題で代表を辞任すると幹事長を辞任。その後の代表選に出馬、岡田克也(おかだかつや)を破り代表に就任した。その岡田を幹事長に起用し、小沢を選挙担当の代表代行に据えて総選挙での勝利と政権交代を目ざした。2009年8月の総選挙で308議席を獲得して政権交代を実現、9月に第93代内閣総理大臣に就任し、社会民主党(社民党)、国民新党との連立で鳩山由紀夫内閣を発足させた。就任直後には「脱官僚依存」を強調し、むだ遣いの排除による2009年度補正予算の見直しと2010年度予算の編成、子ども手当の創設などの民主党のマニフェスト実現を表明した。同年9月の国連総会に出席し、温室効果ガスの削減問題では2020年までに1990年との比較で25%減という目標を表明して国際的な注目を集めた。
 豊富な政治家人脈と政界きっての資産家といわれるほどの資金力で1990年代以降の政界再編では中心的人物の一人で、民主党結党時には相当の資金提供をしたといわれている。しかし母親からの資金提供や政治資金収支報告書の虚偽記載など自らの政治資金問題、また沖縄の普天間(ふてんま)基地移設問題での発言のぶれが国民の批判を招き、内閣支持率が低下するなか2010年6月に首相を辞任した。[伊藤 悟]
『北海道新聞社編・刊『鳩山由紀夫事典――道新記者が徹底解剖』(2009) ▽森省歩著『鳩山由紀夫と鳩山家四代』(中公新書ラクレ)』

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世界大百科事典内の鳩山由紀夫の言及

【55年体制】より

… その後,細川,羽田孜の非自民連立政権を経て,94年6月に自民,社会,さきがけの3党による村山富市連立政権が成立し,自民党は政権に復帰したが,政党配置図の変転はさらに続いた。まず,94年12月に新生党,日本新党,公明党,民社党が合体して,新進党が結成され,96年1月には自民党主導の橋本竜太郎政権が成立し,同年9月には,さきがけと社民党(1996年1月に社会党は党名を変更)からの離党者を軸に鳩山由紀夫,菅直人を双頭のリーダーとして民主党が作られた。このような政党配置図の変転をさらに刺激したのが,政治改革の一つの成果として94年に導入された衆院議員選挙のための小選挙区比例代表並立制(〈比例代表制〉の項を参照)にほかならない。…

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