河原崎権之助(読み)かわらさきごんのすけ

精選版 日本国語大辞典 「河原崎権之助」の意味・読み・例文・類語

かわらさき‐ごんのすけ【河原崎権之助】

  1. 歌舞伎俳優。江戸河原崎座座元屋号山崎屋筑前国(福岡県)の人。能狂言を取り入れた能芝居を長崎、京都で、のち、歌舞伎を江戸で興行。作劇にすぐれ、江戸狂言作者の先駆となる。著書「舞曲扇林」。元祿三年(一六九〇)没。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「河原崎権之助」の解説

河原崎 権之助(8代目)
カワラサキ ゴンノスケ


肩書
松竹歌舞伎座興行相談役,新堀座座元

別名
幼名=山崎 福次郎,前名=河原崎 福次郎

屋号
山崎屋

生年月日
文久3年 4月3日

出生地
江戸(東京都)

経歴
6代目河原崎権之助の妻の甥に当たり、明治3年10歳で河原崎家の養子となる。7年に7代目権之助が9代目市川団十郎襲名したのに伴い、8代目権之助を襲名。同年に河原崎座を再興して座元を務め、8年には新堀座に改称し9年まで興行を行う。しかし、10年には新堀座及び興行権を羽賀周平に譲渡し、河原崎座の系統は消滅した。晩年、松竹の歌舞伎座興行相談役に就任。歌舞伎俳優の2代目河原崎長十郎は息子。

没年月日
大正6年 11月9日 (1917年)

家族
子=河原崎 長十郎(2代目)(歌舞伎俳優),孫=河原崎 長一郎(俳優)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「河原崎権之助」の解説

河原崎 権之助(8代目)
カワラサキ ゴンノスケ

明治・大正期の歌舞伎俳優・座本 松竹歌舞伎座興行相談役;新堀座座元。



生年
文久3年4月3日(1863年)

没年
大正6(1917)年11月9日

出生地
江戸

別名
幼名=山崎 福次郎,前名=河原崎 福次郎

屋号
山崎屋

経歴
6代目河原崎権之助の妻の甥に当たり、明治3年10歳で河原崎家の養子となる。7年に7代目権之助が9代目市川団十郎を襲名したのに伴い、8代目権之助を襲名。同年に河原崎座を再興して座元を務め、8年には新堀座に改称し9年まで興行を行う。しかし、10年には新堀座及び興行権を羽賀周平に譲渡し、河原崎座の系統は消滅した。晩年、松竹の歌舞伎座興行相談役に就任。歌舞伎俳優の2代目河原崎長十郎は息子。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「河原崎権之助」の解説

河原崎権之助(6代)

没年:明治1.9.23(1868.11.7)
生年:文化11(1814)
江戸後期の江戸河原崎座の座元。俳名紫扇。はじめ呉服屋に奉公していたが5代目の没後座元を相続し,森田座控櫓(興行の代行者)として興行。のち市村座の金主となり森田座に対抗したが,強盗に殺害された。実子に初代河原崎国太郎,養子にのちの9代目市川団十郎がいる。なお,この名跡は河原崎座を創設した初代から8代を数えたが,明治10(1877)年に座も名跡も消滅した。

(今西晶子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河原崎権之助」の解説

河原崎権之助(初代) かわらさき-ごんのすけ

1596-1690 江戸時代前期の歌舞伎役者,座元。
慶長元年生まれ。能太夫から歌舞伎役者となる。慶安元年江戸で能芝居の河原崎座をひらく。寛文8年木挽(こびき)町に河原崎権之助座を創設,歌舞伎を興行した。また作者として「曾我(そが)」などを脚色した。元禄(げんろく)3年7月22日死去。95歳。前名は河原崎小左衛門。屋号は山崎屋。著作に「舞曲扇林」。

河原崎権之助(8代) かわらさき-ごんのすけ

1863-1917 明治時代の歌舞伎の座元。
文久3年4月3日生まれ。2代河原崎長十郎の父。河原崎家の養子となり,明治7年8代権之助を襲名。河原崎座を再興して座元となり,8年新堀座と改称。10年興行権とともに同座を羽賀周平にゆずり,河原崎座は消滅した。晩年松竹の歌舞伎座興行相談役となる。大正6年11月9日死去。55歳。江戸出身。屋号は山崎屋。

河原崎権之助(6代) かわらさき-ごんのすけ

1814-1868 江戸時代後期の歌舞伎の座元。
文化11年生まれ。5代権之助の養子。文政13年養父の没後,6代権之助を襲名して座元をつぐが,安政2年森田座の復興にともない休座した。以降は市村座の金主(きんしゅ)となり,興行界に手腕をふるった。明治元年9月23日死去。55歳。江戸出身。屋号は山崎屋。

河原崎権之助(3代) かわらさき-ごんのすけ

?-1775 江戸時代中期の歌舞伎役者,座元。
2代河原崎権之助の養子。享保(きょうほう)20年(1735)前年より休座していた江戸森田座にかわり,河原崎座を再興して座元となり,木挽町で興行する。座元をつとめるかたわら,役者,作者もかねた。安永4年1月24日死去。

河原崎権之助(5代) かわらさき-ごんのすけ

?-1830 江戸時代後期の歌舞伎の座元。
4代河原崎権之助の子。寛政8年(1796)父の没後,5代権之助を襲名して座元をつぐ。翌年森田座が再興されたため,興行権をわたしたが,12年ふたたび森田座にかわって興行した。文政13年3月13日死去。前名は河原崎長十郎。

河原崎権之助(4代) かわらさき-ごんのすけ

1735-1796 江戸時代中期-後期の歌舞伎の座元。
享保(きょうほう)20年1月7日生まれ。3代河原崎権之助の子。寛政2年休座の江戸森田座にかわって興行の河原崎座の座元をつとめる。寛政8年1月4日死去。62歳。江戸出身。前名は河原崎権十郎。俳名は紫扇。

河原崎権之助(2代) かわらさき-ごんのすけ

?-1738 江戸時代前期-中期の歌舞伎役者,座元。
初代権之助の子とも養子ともいわれる。元禄(げんろく)3年(1690)2代権之助を襲名し,翌年江戸で座元として興行した。元文3年8月4日死去。前名は河原崎小左衛門。屋号は山崎屋。

河原崎権之助(7代) かわらさき-ごんのすけ

市川団十郎(いちかわ-だんじゅうろう)(9代)

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367日誕生日大事典 「河原崎権之助」の解説

河原崎権之助(4代目) (かわらざきごんのすけ)

生年月日:1735年1月7日
江戸時代中期の歌舞伎役者;歌舞伎座本
1796年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の河原崎権之助の言及

【河原崎座】より

…江戸の歌舞伎劇場。能太夫であった初世河原崎権之助の創設になる。興行をおこした時期は,1648年(慶安1)とも,56年(明暦2)ともいわれる。…

【座元(座本)】より

…櫓主,太夫元ともいう。江戸では,1624年(寛永1)に猿若(中村)勘三郎が幕府に願い出て,中橋での興行を許されたのが座元の始まりで,以後,都伝内,村山又三郎,山村小兵衛(長太夫),河原崎権之助,森田太郎兵衛,玉川新十郎がそれぞれ劇場を立てて座元となった。57年(明暦3)の江戸大火後,中村勘三郎,市村宇(羽)左衛門,森田勘弥,山村長太夫の4人に限り座元として興行することが許されたが,1714年(正徳4)の江島生島事件で山村長太夫が官許を取り消され,山村座は廃絶した。…

【舞曲扇林】より

…舞踊を中心とする歌舞伎の理論書。初世河原崎権之助著。刊記を欠くため刊行年月は不明であるが,1689年(元禄2)ごろの成立,刊行と推測される。…

※「河原崎権之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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