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多田南嶺 ただなんれい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

多田南嶺
ただなんれい

[生]元禄11(1698).大坂
[没]寛延3(1750).9.12. 京都
江戸時代中期の国学者,浮世草子作者。名は義俊,通称は兵部,別名は桂秋斎秀樹。故実,神道,兵学に通じ,著書も多い。一方『武遊双級巴 (ふたつどもえ) 』 (1739) をはじめとして浮世草子にも手を染めたが,南圭梅嶺翁の名による『世間母親容気 (かたぎ) 』 (25) 以外はすべて八文字屋自笑や其笑の名で発表。主著『女非人綴錦 (つづれのにしき) 』 (42) ,『鎌倉諸芸袖日記』 (43) 。

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百科事典マイペディアの解説

多田南嶺【ただなんれい】

江戸中期の国学者,浮世草子作者。名は義俊。別号春塘,男鈴,秋斎。大坂の人。京都に出て,神道,故実,兵学に通じる。八文字屋本を著作。ただしその多くは八文字屋自笑,其笑らの名義となっており,自作のものは明確でない。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

多田南嶺 ただ-なんれい

1698-1750 江戸時代中期の神道家,有職(ゆうそく)家。
元禄(げんろく)11年生まれ。摂津多田(兵庫県)の人。京都で中川自卜に垂加神道を,壺井義知(よしちか)に故実をまなぶ。おおくの著書をのこし,晩年は浮世草子も執筆した。寛延3年9月12日死去。53歳。名は義俊,政仲。字(あざな)は公実。別号に春塘,秋斎など。著作に「旧事記偽書明証考」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

多田南嶺

没年:寛延3.9.12(1750.10.11)
生年:元禄11(1698)
江戸中期の神道家,国学者,故実家,浮世草子作者。姓は初め多田,のち桂を称す。名は義俊が一般的だが,ほかに義寛,秀樹。通称は兵部,将監。摂津国多田(兵庫県川西市)の出といい,早く吉田,垂加,伊勢などの諸神道を学んだ。神道は特に中川自卜から垂加流を受け,故実は壺井義知に従った。神道では『中臣祓古義』『神明憑談』,故実では『職原鈔弁講』,歴史では『旧事記偽書明証考』,語学では『以呂波声母伝』,歌学では『和歌物語』などの著があり,随筆『ぬなはの草紙』『南嶺子』『秋斎間語』『南嶺遺稿』などもその学問の成果である。文献考証をもっとも得意とし,特に『旧事記偽書明証考』は,当時の神道界や歴史学界ではほとんど聖典視されていた『旧事本紀』が偽選であることを考証したものであり,南嶺を一躍有名にした。しかしそのために壺井義知から破門されることとなった。非合理的だった神道学説に,考証という合理的方法を導入したことにおいて,賀茂真淵や本居宣長などの復古神道の土壌を作ったともいえよう。晩年,生活のために八文字屋に請われて浮世草子を執筆したが,知的要素を加味したその作風は,のちの談義本や読本の先駆とも評価されている。<参考文献>平重道『近世日本思想史研究』,中村幸彦「多田南嶺の小説」(『中村幸彦著述集』6巻)

(白石良夫)

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世界大百科事典 第2版の解説

ただなんれい【多田南嶺】

1698‐1750(元禄11‐寛延3)
江戸中期の国学者。摂津の人。別姓は桂,通称は将監,兵部。南嶺は号。名は義俊,秀樹(ひでうえ)。秋斎とも号した。壺井義知に有職故実を学ぶかたわら,芝山重豊や中山兼親らの公卿に近侍して研鑽を重ねた。一家を成してのちは,尾張,江戸,伊勢等へ赴いて講筵を張り,晩年は京都に住した。その学問は多岐にわたり,博識である一面,実証を欠いた虚説もすくなくない。また八文字屋の浮世草子を代作し,なかでも《鎌倉諸芸袖日記》は著名。

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大辞林 第三版の解説

ただなんれい【多田南嶺】

1698~1750) 江戸中期の神道家・浮世草子作者。摂津の人。名は義俊。吉田・垂加・伊勢の諸神道を習い、壺井義知に有職故実を学ぶ。八文字屋自笑の浮世草子を代作したといわれる。著「旧事記偽撰考」「南嶺子」「伊呂波声母伝」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

多田南嶺
ただなんれい
(1698―1750)

江戸中期の故実、神道、兵学者、浮世草子作者。本姓源、名は義俊、字(あざな)は公実(こうじつ)、通称兵部、別号春塘(しゅんとう)、男鈴。大坂生まれ。京都の壺井義知(つぼいよしちか)などに学び、故実、神道、兵学を京都、大坂に教え、諸方に講説し、諸藩にも講学。その講説は、聴講の門人の筆録による写本として伝わるものが多い。江島其磧(えじまきせき)没後、八文字屋(はちもんじや)の影の作者として、八文字自笑(じしょう)などの名の下に浮世草子を多く執筆した。1739年(元文4)の『武遊双級巴(ぶゆうふたつどもえ)』に始まり、『鎌倉諸芸袖日記(そでにっき)』(1743)を代表作とし、『勧進能舞台桜(かんじんのうぶたいざくら)』(1746)、『世間母親容気(かたぎ)』(1752)など風刺のきいた、技巧色の強い作で、後期浮世草子を代表する存在である。[長谷川強]
『中村幸彦著『南嶺の小説』(『近世作家研究』所収・1961・三一書房)』

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世界大百科事典内の多田南嶺の言及

【古今役者大全】より

…歌舞伎の解説書。中心となった作者は多田南嶺。撰者として八文字屋其笑,八文字屋瑞笑の名が記される。…

※「多田南嶺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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