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「河竹繁俊」の意味・読み・例文・類語
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河竹 繁俊
カワタケ シゲトシ
大正・昭和期の演劇研究家 早稲田大学名誉教授・演劇博物館初代館長。
- 生年
- 明治22(1889)年6月9日
- 没年
- 昭和42(1967)年11月15日
- 出生地
- 長野県下伊那郡山本村(現・飯田市)
- 本名
- 吉村 繁俊
- 旧姓(旧名)
- 市村
- 学歴〔年〕
- 早稲田大学文学部英文科〔明治44年〕卒
- 学位〔年〕
- 文学博士(早稲田大学)〔昭和18年〕
- 主な受賞名〔年〕
- 菊池寛賞〔昭和31年〕,NHK放送文化賞〔昭和32年〕,日本学士院賞〔昭和35年〕「日本演劇全史」,文化功労者〔昭和42年〕
- 経歴
- 坪内逍遙の文芸協会附属演劇研究所に入り、新劇運動に参加。逍遙のすすめで河竹黙阿弥の養嗣子となる。大正9年帝国劇場文芸部嘱託、のち技芸学校主事。12年早稲田大学講師となり、昭和3年の早大演劇博物館創立に尽力し、9年館長。12〜35年早大教授、36年武蔵野芸術大学教授を歴任。この間、24年日本演劇学会を創立、会長に就任。戦前戦後を通じ、演劇の研究・教育・行政・普及に幅広く活動した。35年「日本演劇全史」で学士院賞受賞。37年芸術院会員、42年文化功労者。他の著書に「河竹黙阿弥」「坪内逍遙」「歌舞伎作者の研究」「歌舞伎史の研究」「逍遙、抱月、須磨子の悲劇」、「演劇百科大事典」(監修)などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
河竹繁俊
かわたけしげとし
(1889―1967)
演劇研究家。文学博士。長野県飯田の生まれ。旧姓市村。1911年(明治44)早稲田(わせだ)大学英文科卒業。同時に坪内逍遙(しょうよう)主宰の文芸協会演劇研究所を修了して同協会の新劇運動に参加。同年逍遙の斡旋(あっせん)で河竹黙阿弥(もくあみ)の長女糸(いと)の養嗣子(ようしし)となる。20年(大正9)帝国劇場に入り技芸学校主事。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館の設立に尽力し、28年(昭和3)開館後副館長、のち館長となる。また早稲田大学教授として演劇史ほかを講じ、46年(昭和21)芸術学専攻科(演劇科)設置とともにその主任となる。60年『日本演劇全史』で学士院賞受賞。62年芸術院会員、67年文化功労者となる。おもな編著に『河竹黙阿弥』、『坪内逍遙』(共著)、『歌舞伎(かぶき)作者の研究』、『歌舞伎史の研究』、『演劇百科大事典』全6巻、『逍遙、抱月(ほうげつ)、須磨子(すまこ)の悲劇』など。
[菊池 明]
『河竹登志夫著『作者の家』(1979・講談社)』
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河竹繁俊【かわたけしげとし】
演劇研究家。長野県生れ。早大英文科在学中より文芸協会の新劇運動に参加。1911年,河竹黙阿弥家の養子となった。早稲田大学演劇博物館館長,早大教授として活躍,複雑な日本演劇史を体系づけた。《歌舞伎史の研究》(1943年),《日本演劇全史》(1959年),《河竹黙阿弥》,編著《黙阿弥全集》などがある。
→関連項目河竹登志夫
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河竹繁俊 (かわたけしげとし)
生没年:1889-1967(明治22-昭和42)
演劇研究家。旧姓市村。長野県飯田生れ。早稲田大学英文科・文芸協会演劇研究所卒業。河竹黙阿弥家の養嗣子。帝国劇場文芸部,同技芸学校主事を経て,早稲田大学演劇博物館館長,早大名誉教授。文学博士。芸術院会員。東西の芸能に通じた広い視野から,日本演劇とくに歌舞伎の史的研究と啓蒙に尽くした。主著《河竹黙阿弥》《歌舞伎史の研究》《歌舞伎作者の研究》《日本演劇全史》等。
執筆者:菊池 明
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河竹繁俊
かわたけしげとし
[生]1889.6.9. 飯田
[没]1967.11.15. 東京
演劇研究家。早稲田大学英文科卒業。坪内逍遙に師事,文芸協会演劇研究所を経て河竹黙阿弥の家に養子となり,特に歌舞伎史を研究。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館の建設に努力し,30年間館長を務めるとともに,同大学で教鞭をとる。第2次世界大戦後は国立劇場の設立にも尽くした。 1962年日本芸術院会員,1967年文化功労者。主著『河竹黙阿弥』 (1914) ,『歌舞伎史の研究』 (1943) ,『日本演劇全史』 (1959) 。
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河竹繁俊 かわたけ-しげとし
1889-1967 大正-昭和時代の演劇学者。
明治22年6月9日生まれ。河竹黙阿弥家の養嗣子。文芸協会の新劇運動に参加。昭和3年の早大演劇博物館設立に尽力,早大教授となり,のち館長をかねた。35年「日本演劇全史」で学士院賞。芸術院会員。42年文化功労者。昭和42年11月15日死去。78歳。長野県出身。早大卒。旧姓は市村。著作はほかに「歌舞伎史の研究」など。
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河竹 繁俊 (かわたけ しげとし)
生年月日:1889年6月9日
大正時代;昭和時代の演劇研究家。早稲田大学教授・演劇博物館初代館長
1967年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報